譚海 卷之十二 平澤左内林家より北辰の像をゆづられし事
○平澤左内[やぶちゃん注:底本には「左」の右に編者の補正傍注があり、『(佐)』とある。]と云(いふ)は、隨貞と號し、易學に妙を得て、うらなひ、あつる事、神(しん)の如し。
林家へも招(まねか)れて、參り、其術の神なる事を感じ、林家傳來の妙見菩薩の像を讓られし事あり。
叔父、平澤氏に易を習(ならひ)て、時々、出席せられしに、平澤氏門人に、光三儀德雲といへる、狐、有(あり)、本所某(なにがし)の旗本の地に居住する、よし。
人間(にんげん)にある事、凡(およそ)八百餘年に及べり。
其物語に、
「世間に善狐あり、惡狐あり。惡狐は、常に、人を、まよはし、たぶらかす事をなして、業(なりはひ)とす。善狐は、善事に隨逐(ずゐちく)する事を好みて、高僧碩儒(せいきじゆ)の許(もと)による所を、なす。仍(よつ)て、說法講學の席には、折折、狐、まじりてある事。」
とす。
「かくの如くして、智識、增長し、年月(としつき)を經(へ)ぬれば、人間に生(しやう)を轉ずる。」
よし也。
「此德雲も、今、世上に交(まじは)る人、十八人、あり。皆、博學の人なる。」
よし。
「德雲、人に物を敎受する願(ねがひ)ありて、是まで、十一人に諸藝を傳受せし也。今、一藝、天文學を人に傳へ殘(のこ)せり。『是を、つたへ終(をは)れば、志願成就して、來生(らいせい)を人間に受(うく)る。』よし、いへり。」
と、佐内、物がたり也。
[やぶちゃん注:この話、先行する「譚海 卷之十二 平澤左内卜筮幷光三儀德雲が事」と内容が、かなりダブる。そちらの私の注を参照されたい。
「叔父」事実上、この叔父に対して書かれた前の「卷之十一」に頻出する津村の叔父、中西邦義。]

