譚海 卷之十一 濃州正木太郞太夫鐵のくさりの事
○濃州に正木太郞太夫といふ人、有(あり)。大力にて、大まさかりにて、大木の松を、うち切(きり)たる程の强力(がうりき)也。
「劍術の奥旨を得ん事。」
を、遠州秋葉權現に祈請して、一萬日、かの山に罷りたり。權現より、鐵の「くさり」を給はり、盜難・劍術をよくる事、神異、有(あり)。
仍(より)て、諸人、正木氏に懇望して、「くさり」を調(ちやう)じもらひ、
「居間に懸置(おく)時は、極(きはめ)て諸難を、よくる。」
と、いへり。
「あや川」某と云(いふ)すまひ取(とり)[やぶちゃん注:相撲取り。]有(あり)相撲の上手にて、無雙の聞えありしが、正木氏のもとに行(ゆき)て、業(わざ)の進(すすま)ん事を乞(こひ)ければ、正木、逢(あひ)て、
「奇特の事也。さらば、先(まづ)、我等の體の輕重を試み見よ。」
とて、「あや川」に身をまかせたり。
「あや川」、立寄(たちより)て抱(だ)き揚(あぐ)るに、正木、さしも大兵(たいひやう)の生れにて、長(たけ)も平人に越(こえ)たる人なれ共(ども)、いとかろらかに抱揚られたり。
又、暫くして、
「已前の如く、試(こころみ)よ。」
と、いへば、「あや川」、立寄て、いだき揚(あげ)んとするに、磐石(ばんじやく)の如く、重く成(なり)て、一向に動かされず。
夫(それ)より、正木が弟子に成(なり)て、體の輕重の法(はう)を傳へ、いよいよ、相撲の名人になりたり、とぞ。
[やぶちゃん注:秋葉権現絡みではあるが、以降は、こうした武道系の物語へとスライドしてゆくのである。]