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« この前後数日の私 | トップページ | 譚海 卷之十二 同邸雛祭の事 »

2024/03/25

譚海 卷之十二 藝州邸にて嚴島祭禮おこなはれし事

○松平安藝守樣、御先祖奥方、御城(ごじやう)より御入輿被ㇾ成(ごじゆよなられ)て、御守殿(ごしゆでん)など出來(いでき)て、華麗なる事にありし、とぞ。

 其奧樣、御願(おんねがひ)にて、

「嚴島の祭禮、御覽被ㇾ成度(なられたき)。」

よしにて、態々(わざわざ)、宮島の社人・神女(みこ)等、江戶へ召せられ、安藝守樣、築地(つきぢ)海邊(うみべ)の御下屋敷にて、祭禮、興行あり。

 例の如く、何事も劣らず、嚴島の祭禮の通りに行(おこなは)れしに、はてがたに、神供(じんく)を、神主、奉(たてまつ)る時、

「藝州にて、いつも、神の仕(つか)へ給ふ『からす』也。」

とて、二羽、飛來(とびきた)り、此神供を、ふくみて、虛空(こくう)に飛上(とびあが)りて、失(う)する事也。

 此日も、其(その)如く、神供を奉りけるに、いづこともなく、鴉、二羽、飛來りて、藝州にてある如く、ふくみ去りて、空に飛(とび)かけりて、うせければ、皆、

「神威の奇特(きどく)成(なる)事。」

を、ふしぎに沙汰せし、とぞ。

[やぶちゃん注:「松平安藝守樣、御先祖奥方、御城より御入輿被ㇾ成て」「松平安藝守」は安芸国広島藩第二代藩主浅野光晟(みつあきら 元和三(一六一七)年~元禄六(一六九三)年)である。彼は家康の外孫であったことから、松平姓を許され、初めて「松平安芸守」を名乗っているからである。而して、その「御先祖奥方、御城より御入輿被ㇾ成て」というのは、光晟の父浅野但馬守長晟(備中国足守藩主・紀伊国和歌山藩第二代藩主・安芸国広島藩初代藩主)の正妻であった徳川家康の三女、振姫(ふりひめ)=正清院(しょうせいいん)を指す。幸薄い彼女の詳しい事績は当該ウィキを見られたいが、それによれば、彼女は文禄四(一五九五)年二月に『豊臣秀吉の命により蒲生秀行と婚約』、慶長三(一五九八)年十一月に『輿入れ』したが(当時数え十九歳)、十四年後、『夫の秀行が慶長』一七(一六一二)年に三十歳の若さで『急死』してしまう。而して『元和元年』(一六一五年)、『家康の命により』、『振姫は、和歌山藩主の浅野長晟と再婚することとなり、子を置いて蒲生家を去』り元和二(一六一六)年四月に『輿入れする。翌年に和歌山に入り、長晟の次男』『浅野光晟を産むも、その』十六『日後に死去した。享年』三十八であった。従って、後の文の「安藝守樣、築地海邊の御下屋敷にて」というのは、現在の「安藝守」が父から引き継いだ「築地海邊の御下屋敷」で浅野長晟の命令で行われたと読まないとおかしいことになる。厳島神社の神使がカラスであることは、先行する「譚海 卷之八 藝州嚴島明神祭禮の事」に出ており、また、私の電子化注『「南方隨筆」版 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」 オリジナル注附 「二」の(2)』でも考証されているので、参照されたい。]

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