譚海 卷之十一 普通眞言藏諸尊だらにの事
[やぶちゃん注:最後の割注は前話と同様の処理をした。]
○「普通眞言藏」といふ書には、諸尊の「だらに」をはじめ、鼠を去る「だらに」まで載(のせ)てあり。受明灌頂(じゆめいくわんぢやう)を遂(をへ)たる人ならでは、直(ぢき)に唱へ行ふこと、ならぬ法也。
すべて、佛法に、「だらに」をはじめ、諸經を讀誦するに至るまで、如法(によほふ)の比丘より、傳へ受けて行ふ法の物なり。
無下の俗師、傳もなくて唱へおこなへば、「ヲツサンマヤの罪」に落(おつ)る事也。
叔父、家にある下女、髮に、鼠(ねづみ)、つきて、三夜まで、元結を、かみきり、驚き恐れたれば、叔父、受明灌頂を遂げし人ゆゑ、やがて、鼠を去る「だらに」を誦し又、紙に書(かき)て、「こより」にして、下女がもとゆひに結(ゆひ)そへにし、其夜より、鼠、來らず。はたして印(しるし)ありけり。
「行ふ人は、凡夫なれども、法は、佛の傳へ給ふものゆゑ、末世なりといへども、如ㇾ此奇特あり、たふとき事なり。」
と、いへり【註。この條、別本になし。】。
[やぶちゃん注:「普通眞言藏」真言陀羅尼六百余を収録した真言大辞典で、既に注した江戸中期の真言僧浄厳(じょうごん 寛永一六(一六三九)年~元禄一五(一七〇二)年)が書いたもの。
「受明灌頂」真言の行者として深く密教を学ぼうとする者に対して行われる儀式。
「ヲツサンマヤの罪」文字だけで理解しようとすることを、密教では「越三昧耶」(オツサンマヤ)と称して、憎み嫌い、そのために受ける罪障を、かく言った。
「叔父」本巻で冒頭に出て、途中にも登場した津村の叔父である中西邦義。]