譚海 卷之十 飛州風土の事
○飛驒國へ、信州より越(こゆ)るには、「牛返り峠」といふを、こゆ。三里の上下にて、甚(はなはだ)、岨嶮(そけん)なる峠なり。
「とふげ」[やぶちゃん注:ママ。「たうげ」が正しい。]をこして、十一里をへて、飛驒の高山(たかやま)へ、いたる。信州の「笹だいら」といふよりは、十五里なり。
高山は、城下にはあらねど、富(とめ)る人、おほく、住(ぢゆう)す。貳拾町[やぶちゃん注:二・一八二キロメートル。]四方もある里なり。然れども、米は出來ず、みな、加賀より仕送るなり。
高山より、加賀へ、こゆるには、「高山峠」といふを、こゆ。のぼりくだり、十里の道にして、此間、食物、一切なし。
土民・行客(かうきやく)も、たゞ、「わらび」の粉を、餅に、こしらへたるに、鹽(しほ)をつけて、くふ事を糧(かて)とするのみなり。汁(しる)は鹽汁(しほじる)にて、水に鹽を和したるを、くふ事なり。
峠をこえて、加賀の城下迄は、又、八里あり、此間は坦路[やぶちゃん注:平たい道。]にして、常の往來なり。然(しかれ)とも[やぶちゃん注:ママ。]、此間に橫田川といふあり、半里ほどの川にて、舟にても、かちわたりにても、かよふ、甚(はなはだ)、危(あやふ)き處なり。此河を、わたらずして、加州城下へいたる道もあれども、三里ほどのまはりなり。
[やぶちゃん注:「牛返り峠」ネットでは確認出来なかったが、底本の竹内利美氏の後注に、『飛驒山脈を横切って、飛驒から信州へ越える野麦峠』とあった。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
『信州の「笹だいら」』長野県長野市七二会笹平(なにあいささだいら)か。しかし、高山市街地までは、実測するに、野麦峠越え辺りで、既に九十キロメートル以上あり、数値が低過ぎる。
「高山峠」不詳。高山から越中富山を経ずに、金沢市街に直に抜けるには、白川村を抜けるルートだろうが、この名の峠は判らぬ。
「橫田川」前の位置のヒントになるかと思ったが、不詳。]
« 譚海 卷之十 信州更級郡姥捨山月見の事 | トップページ | 譚海 卷之十 相州見えない村・上野國蛭池・江州百足山の事 »