譚海 卷之十 越中國白山雷鳥幷雷獸の事
○越中國白山に雷鳥といふあり。「夫木集」に後鳥羽院御製・家隆卿の和歌抔、みえたり。
享保中、官より畫師(ゑシ)を彼地に遣(つかは)され、鳥の貌(かたち)を寫(うつ)さしめ給ひしより、世にも、ゑがきつたへて、右の御製を上記し、「雷除(かみなりよけ)」とて、人家に掛る事と成(なり)ぬ。
是を雷鳥といふ事は、此鳥、雷獸を、このみ、くらふ物にて、夏、夕立(ゆふだち)せんとしては、雷鳴、起(おこ)るにあはせて、雷獸、高山の巖穴(がんけつ)にすむもの、悉く、穴より、首を出し、雷鳴のちかづくをまちて、雲を吸(すひ)、それに乘じて飛行(ひぎやう)し、雷と共に、雲中を、かけりあるく故、雷落(おつ)る所には、かならず、雷獸の痕(あと)ありて、大木(たいぼく)を、かきそけて[やぶちゃん注:底本では編者による割注の補正注で「け」の右に『(ぎ)』とある。「搔き削ぎて」。]、昇天せし爪の跡などは、ある事なり。雷獸、常は、一向、柔弱成(なる)ものなるが、雷鳴の聲を聞(きく)ときは、一時(いちじ)に、猛勢、加はり[やぶちゃん注:底本「猛勢く加はり」。国立国会図書館本は『猛勢くははり』。後者を比較参照して、かく訂した。]、潛居(せんきよ)せし洞穴より突出(とつしゆつ)して、雲氣に乘(じやう)じ、飛行するなり。
此雷鳥、又、是をしりて、雷鳴起るときは、高山に飛翔し、雷獸の巖穴より突出する所を、ねらひて、ひづめにかけて、雷獸を擊倒し、其まゝ、つかみ、くらふ事、とぞ。
さしも、猛勢なる獸なれども、雷鳥には、爪にて、かたく、つかみとらる。雷鳥の爪は、ま鷹の如くなるもの、 とぞ。
「されば、此ゆゑを、もちゐて、『雷除』とて稱し傳ふる事。」
と、いへり。雷鳥、又は、「鵣鳥(らいてう)」とも、かくなり。
[やぶちゃん注:キジ目ライチョウ科ライチョウ Lagopus muta japonica (シノニム Lagopus mutus / Tetrao mutus )。まず、私のブログの古い「生物學講話 丘淺次郞 第六章 詐欺 一 色の僞り~(2)」を見られたい。江戸随筆では、分布が限定地区の高山に限られていることから、思ったほどは、多くない。「諸國里人談卷之一 雷鳥」、或いは、「三州奇談 卷之一 白山の靈妙」を見られたい。後者でトンデモ表記で「鵜鳥」とあるのは、まさに江戸時代の漢字異名「鵣鳥」を誤記したものであろう。
『「夫木集」に後鳥羽院御製・家隆卿の和歌抔、みえたり』延慶三(一三一〇)年頃)に纏められた「夫木和歌抄」の鎌倉時代の後鳥羽天皇の一首、
しらやまの松の木陰にかくろいて
やすらにすめるらいの鳥かな
及び、その臣下の歌人藤原家隆の一首、
あわれなり越の白根にすむ鳥の
松を賴みて夜明かすらん
を指す。
「雷獸」落雷とともに出現するとされた幻獣。こちらは江戸随筆に枚挙に遑がない。最近のものでは、『「南方隨筆」底本正規表現版「紀州俗傳」パート 「十四」』、及び、『柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「雷獣」』の私の注で記してあり、摩訶不思議な図も添えておいた。]