譚海 卷之十 (尾張國立松伊兵衞宅の稻荷社の事:仮題)
[やぶちゃん注:底本にも、国立国会図書館本にも、「目錄」にそれらしい標題がない。仮に以上のように示しておいた。
なお、この前の話「同所の寺の無緣塔の怪の事」(「同所」は前話を受けているので「越後蒲原郡」。「無緣塔」は「無縫塔」(=卵塔)の誤記或いは誤判読と思われる)は既にフライング公開している。]
○尾張國、某村に、立松伊兵衞と云(いふ)者あり。
或年、其子、八歲に成(なり)ける、金吾といひしが、日々、外より歸るごとに、錢(ぜに)、五、六錢(せん)、又は、小玉銀、壹つ、など、ひろひて來(きた)る事、絕(て)ず。
兩親、あやしみ、
「若(もし)、盜取來(ぬすみとりきた)るや。」
と、種々(しゆじゆ)、吟味すれども、させる證據も、なし。
かくあるほど、其鄰村の百姓の子どもに、狐、付(つき)て、口ばしりけるは、
「我は、立松かたへ用ありて行(ゆく)ものなり。しかるを、此子供の親、先日、我を見付(みつけ)て、犬を追懸(おひかけ)たるうらみあれば、しばらく、爰(ここ)に逗留せしかど、我(われ)、伊兵衞、宅地、廣きゆゑ、かしこに、稻荷の社(やしろ)を建(たて)てもらひたくおもふまゝ、ながく、こゝには、止(とど)まるまじ。」
といふ事、折々、いひければ、
『不思議なる事。』
に思ひ、百姓、伊兵衞方へ尋行(たづねゆき)、
「我(わが)子供に、狐、付て、さるよし、物語ぬる。」
次第を述(のべ)、もし、こゝに、何ぞ、非常の事も、ありや。」
と、とふ。
伊兵衞、
「さして、おもひあたる事もなけれど、こゝにある金吾、一兩日以前より、あそびあるきて、歸るごとに、銀、又は、錢など、些少なるを拾(ひろひ)とりて、かへらざる事、なし。是等や、あやしむべき事には、あるべき。」
といふ。
「さらば、これ、彼(かの)社を建(たつ)べき料(れう)に、報(むくい)あることなるべし。いそぎ、社を建立あるべし。我も、ちからを合(あはせ)て勤請(ごんせい)し侍るべし。」
と約し、不日(ふじつ)に、社頭、出來、棟あげに成(なり)たる日より、金吾、物をひろひて歸る事、止(やみ)ぬ。
ほどなく、彼(かの)百姓の子供も、狐、落(おち)て、平生(へいぜい)に成(なり)たり。
遠近(をちこち)、是を聞傳(ききつた)へて、遷宮の日より、群集(ぐんしゆ)、甚(はなはだ)しく、あまり大莊(たいさう)なることになりしかば、さるよし、伊兵衞、奉行へも訴へ、群集、靜謐するやうに、はからひしかど、とかく、參詣、たえず、にぎはひてありけり。
遷宮、翌朝、伊兵衞、起(おき)て、雨戶をひらきたれば、伊兵衞夫婦をはじめ、子供・家内の者の名を書付(かきつけ)、絹の反物、水曳(みづひき)[やぶちゃん注:底本では「曳」の右に編者補正注で『(引)』とある。]ゆひて、さし置(おき)たり。誰がしわざともしらず。
「是も彼狐の所爲なるべし。」
とて、やがて、其物をば、戶帳(とちやう)[やぶちゃん注:神仏の厨子の上などに垂れる小さな帳。凹を逆さまにして、左右を下に延ばした形で、多くは金襴や錦などの美しい布で作られてある。]・幟(のぼり)などに仕立(したて)て、社頭に納(をさめ)ける。
とかく、伊兵衞、群集をいとへるを、神慮にかなはでありけるにや、後に、金吾、生長して、ことの外、放埒者になりぬる、とぞ。
「社も、今は、あれてありける。いかなる事にや。」
と、かたりし。
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