譚海 卷之十二 深川町大文字屋の事
[やぶちゃん注:「深川町」は「ふかがはまち」と読み、現在の江東区江東区常盤一・二丁目、高橋、森下一~三丁目、白河四丁目、三好四丁目、平野四丁目等などを含む広域であった。]
○仙臺陸奥守樣、江戶藏元に、「大文字屋」とて、數家、有(あり)。
其比(そのころ)は、仙臺米一圓受拂(うけはらひ)せし事(こと)故、此一家、繁昌して、おごりも强く、「大文字屋の衆」とて、芝居物、見に出(いづ)るにも、皆人(みなひと)、見物する事に有(あり)し。
其一家の妻女をはじめ、娘に至るまで、皆、美人にして、みにくき女は、なかりし。
是は、「大文字屋」のならひにて、よき娘あるものは、いやしきものをも、えらばず、もらひてよめにせしゆゑ、其筋のものにて、皆、ありしと、いへり。