譚 海 卷之十三 梅花楓樹植付の事 萩原市町に植やうの事 柑子の類こやしの事
[やぶちゃん注:三番目の標題の「柑子」は「かうじ」であるが、ここは以下の本文記載から、種としてのバラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン属コウジ Citrus leiocarpa を指しているのではなく、広義のミカン類を指している。]
○櫻は、市中に植(うう)るといへども、かじけ[やぶちゃん注:「萎(しぼ)んで」。]、枯れやすし。楓樹(かえで)は、市中にては紅葉せず。櫻・楓等を植るには、平地より、三尺ばかり高く、土手をつきて、其上に植べし。櫻は久敷(ひさしく)たもつべし。楓抔(など)も、年をへては、紅葉する事有(ある)べし。
櫻は、愼(つつしみ)て、一枝をも、折(をる)べからず。折(をり)たる所より、枯(かれ)はじめて、終(つひ)に、たもちがたし。
梅は、年々、土用に枝をきれば、花を、もち安し。それも、したゝかに枝をきるときは、痛(いたみ)て、枯(かる)るなり。
○萩も、市中には保(たもち)がたし。年々、刈盡(かりつく)すべからず。大きなる枝、二、三本、かり殘して置(おけ)ば、樹に成(なり)て、花、つき安し。
○蜜柑・たちばな・九年ぼうのたぐひ、花の後は、白靑(しろあを)き蟲を生じ、臭き香を吐(はく)もの也。市中には、えらみて、蟲を生ぜざるものを植(うう)べし。みかん・橘(たちばな)の類(るゐ)には、鼠のこやし、殊に、よろし。死(しし)たる鼠を、水にひたし置(おく)ときは、久しくして、たゞれ、浮ぶ也。夫(それ)を樹の根へ埋(うづ)むときは、花實、よく榮(さか)ふる也。
[やぶちゃん注:「九年ぼう」「九年母(くねんぼ)」。ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン連ミカン属コウキツ(香橘)Citrus nobilis Lour. var. kunep Tanaka のこと。現行では「クネンボ」の方が知られる。他に「クニブ」、沖繩方言では「九年母木」(くんぶぬき/くぬぶんぎ/ふにゃらぎ)と呼び、沖縄在来の柑橘カーブチーやオート―、及び、本土の温州蜜柑の祖先とされる蜜柑品種の一つ。名の由来については、種を植えてから実がなるのに九年かかるというものや、「クニブ」という音の「ニブ」がヒンディー語の「酸味の強い小さいレモン」の意で、それが語源とも、される。本来はインドシナ半島原産で南中国を経て琉球に渡り、羽地(はねじ:現在の名護市)で栽培が盛んに行われたことから「羽地蜜柑」とも呼ばれた。果皮は厚く、表面に凹凸が見られ、味は濃厚で、酸味が強く、テレピン油に似た独特の香りを特徴とする。十六世紀室町期には琉球から日本本土にも伝えられて栽培もされ、果実サイズが大きなために持て囃された。水戸黄門はこれをマーマレードにして食したという記録も残っている。中でも美味しさを誇る琉球産は重宝されたという。江戸期までは日本本土に於ける柑橘の主要品種であったものの、その後、紀州蜜柑が広まり、また、近代に至って大正八(一九一九)年からのミカンコミバエ(双翅(ハエ)目短角(ハエ)亜目ハエ下目ミバエ上科ミバエ科 Bactrocera 属ミカンコミバエ Bactrocera dorsalis )の侵入阻止のための移出禁止措置がとられてからは、生産量が激減、今では沖縄本島にも数本しか残っていない貴重な木となってしまった(以上は主に、非常によく纏められてあるpuremcolumn 氏のブログ「The Herb of Ryukyu」の「クネンボ 01 柑橘の母」の記載及び同記載のリンク先などを参考にさせて戴いた)。
「白靑き蟲を生じ、臭き香を吐もの也」ミカン類を有意に食害し、「白靑」色(これは江戸以前に感覚では緑色に近い明るい色を言っているように思う)で、臭さが強烈となると、昆虫綱カメムシ目カメムシ亜目カメムシ科カメムシ亜科 Glaucias 属ツヤアオカメムシ Glaucias subpunctatu を指している可能性が高いと思われる。]
« 譚 海 卷之十三 ついたて製の事 風りんの事 椽の下に植る草の事 | トップページ | 譚 海 卷之十三 ばせう布の事 石菖蒲眼をやしなふ事 鄰家の竹引うつし植やうの事 松山生濕生異なる事 樹木室の事 蕙蘭こやし土幷植やうの事 蘭花賞翫の事 »