譚海 卷之十一 覺鎫上人別行祕記事
○覺鎫(かくばん)上人の「別行祕記(べつぎやうひき)」と云(いふ)書に曰(いはく)、
『僧と成(なり)て娑婆(しやば)に住(ぢゆう)する人、早く滅度(めつど)をとらん事を願ふは、あるまじき事也。此世に長壽にてあれば、善事をなす事、多し。一日(いちじつ)、存命すれば、一日の善事、多き事故(ゆゑ)、後世のつとも、おのづから多く成(なる)事なれば、命のあらん程は、隨分、養生をして、定業(ぢやうがふ)の死を、まち、善事をなすべき事。』
とあり。
[やぶちゃん注:「覺鎫上人」(嘉保二(一〇九五)年~康治二(一一四三)年)は平安後期の真言宗新義派の開祖。勅諡号「興教大師」。肥前の人。保安二(一一二一)年、仁和寺の寛助から密教灌頂を受ける。高野山に伝法院を建立して座主となり、金剛峯寺座主を兼ねたが、一門の反対に遭い、根来(ねごろ)の円明寺に移った。覚鑁が起こした密教事相の流派を「伝法院流」と称する。「密厳尊者」と呼ばれた。
「別行祕記」彼の著作に該当する書名はない。江戸前期の真言宗の僧浄厳(じょうごん 寛永一六(一六三九)年~元祿一五(一七〇二)年)に「別行次第祕記」があるが、時代がずっと後である(二つ後の「湯島靈雲寺開山覺彥比丘の事」に出る)。しかし、本篇で引かれている文は、凡そ平安後期の文章には、私には見えない。識者の御教授を乞うものである。]