譚海 卷之十二 痢病の事 かくの病名名目の事
○痢病(りびやう)は、古(いにしへ)は男子を「滯下(たいげ)」といひ、女子を「帶下(たいげ)」といひしを、後漢の仲景に至りて、はじめて「痢」の字を製したり。
「利」は「元享利貞(げんかうりてい)」の「利」にて、「物の、とをる。」事也。それが病(やまひ)によりて、滯(とどこほ)る症を引出(ひきいだ)したるゆゑ、「利」の字に「病」をかけて造りたる、とぞ。
「痢」は、物の滯るゆゑ、とほるやうに療治する事にて、仲景より通藥(つうやく)を用(もちひ)る事に成(なり)たる事也。
暫く、止(とどま)りて、又、發(はつす)るを、「休息痢」と云(いひ)、物のくはれぬを、「禁口痢」と云(いふ)。
腹も、いたまずして、大便、赤く下るを、「刮腸(かつちやう)の症」とて、難澁の痢也。
「唯、何となくして、はらわたの、くだる症。」
といふ。[やぶちゃん注:以下は、底本でも改段落している。]
痛症(つうしやう)を「覆溢(ふくいつ)」と云(いふ)。
[やぶちゃん注:『女子を「帶下(たいげ)」といひし』本邦では、専ら、女性の生殖器からの分泌物を指し、「こしけ」と呼ぶ。正常なものと、病的な要因による異常なものの二種がある。
「後漢の仲景」漢末の本草家で医師であった張仲景(生没年未詳)名は機、仲景は字(あざな)。長沙(湖南省)の長官だったとされ、当時の医療法を伝える「傷寒雑病論」が有名。利時珍の「本草綱目」にも、彼の見解が多く引用されてある。
『はじめて「痢」の字を製したり』確かに、後漢の最古の漢字字典「説文解字」には載らないから、この説は、案外、正しいのかも知れない。
「元享利貞」「易経」で「乾」(けん)の卦(け)を説明する語。「元」を万物の始め、善の長、「亨」を万物の長、「利」を万物の生育、「貞」を万物の成就と解し、天の四徳として春夏秋冬・仁礼義智に配する。
「刮腸」小刀で内臓を抉り取ること。]
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