譚海 卷之十 下總佐倉領時平公の社祭禮の事
○下總佐倉領より南に、「酒(しゆ)すい[やぶちゃん注:ママ。]」といふ所、有(あり)。
此地、うぶすな、時平の大臣を祀れるよしにて、天滿宮を、まつらず。「しゆすひ[やぶちゃん注:ママ。]」の領、よほど、廣き所にて、此近邊、すべて、皆、然り。
祭禮の日、每年ありて、神輿をいだす。殊外(ことのほか)、にぎはへる事なり。
「三山」とて、千葉と大和田の間に、七ケ村あり。壹村に、神輿、壹づつありて、壹ケ年に、神貢一づつ、一村にて出(いだ)す事なり。
[やぶちゃん注:「酒(しゆ)すい」「しゆすひ」現在の千葉県印旛郡酒々井町(しすいまち:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「時平の大臣を祀れる」酒々井町には、現行では時平神社は存在しない。但し、酒々井町の西方十三キロメートルの八千代市内には、複数の時平神社が固まって存在する。しかも、その内の二つ、大和田時平神社と小板橋時平神社は、千葉県八千代市大和田地区内にある。御霊信仰の対照的なものかと思ったが、三諸(みもろ)氏のブログ「美しい神社☆再訪したくなる神社」の「時平神社(千葉県八千代市)」によれば、「習志野市史」第一巻「通史編」(習志野市教育委員会編)に、『船橋市・二宮神社と習志野市・菊田神社の両社に「藤原帥経が時平の霊を祀った」との伝承が存在します。これが時平信仰のキッカケとなりました』。『藤原帥経とは』『時平の子孫』で、治承四(一一八〇)年、『都での地位を追われ、下総国に安住の地を求めました』。『 相模国から海路を行くとき海が荒れ、久久田浦(現・習志野市)に漂着。助かったのは、住民が祀るお宮の神徳』『と、これを崇め、先祖の藤原時平を併せ祀って社殿を建立しました。これが現在の菊田神社です』(千葉県習志野市津田沼のここ)。『要するに、下総国へ流れてきた時平の子孫が、ご先祖様を祀ったのが始まりでした』。『以来、事の詳細を知らぬ?地元の民が代々祀り続けて今日に至る。と、いった構図でしょうか』とあって、納得した。]
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