譚海 卷之十一 十句觀音經の事
○「觀世音。南無佛。與佛有因。與佛有緣。佛法僧緣。常樂我淨。朝念觀世音。暮念觀世音。念々從心起。念々不離心。」と云(いふ)文は、元來、京都山科にある僧の傳へたる事也。
此僧の伯父、京都にありけるが、重病、大事に成(なり)、旦夕(たんせき)に迫(せま)りしかば、
「見舞に行(ゆか)ん。」
とて、山科より京へ趣く道にて、ある茶店に休(やすみ)たるに、眠(ねむり)を、もよほして、暫く、まどろみたる内に、天滿宮、託宣あり。
「汝が伯父、定業(ぢやうごふ)の死、いまだ至らず。此文を唱へ念ぜば、平癒すべし。」
とて、再遍、をしへさせ給ふ。
僧、夢さめて誦(じゆ)し見るに、能(よく)覺へたれば、頓(やが)て、伯父の許(もと)ヘ行(ゆき)て、示現(じげん)の次第を語り、諸(もろ)ともに、朝夕(あさゆふ)、となへ、念ぜしかば、病氣、平癒せり。
此事、洛中に傳聞(つたへきき)て、專ら、當時、諸人、唱ふる事也。
其比、白隱和尙、在京にて、此文を聞(きき)て、試(こころみ)に「一切經」を捜されければ、「皓王觀音經」といふ中に、この文、有(あり)。和尙、感嘆して、弟子にも傳へ誦(となへ)られける。
和尙、此文をば、「十句觀音經」と名付(なづけ)て弘(ひろめ)られける。
其後、他國にも弘(ひろま)りて、所々にて、唱ふ人、おほし。
そもそも、天滿宮は、天台圓頓戒の守護神にましませば、かたがた、かゝる奇特も、ある事、むべなるにこそ。
[やぶちゃん注:「十句觀音經」(現代仮名遣:じっくかんのんぎょう)当該ウィキによれば、「大正新脩大蔵経」には『収録されていない偽経であるが、日本では』「延命十句観音経」『という経名で信徒向けの日課経本に掲載されることが多く』、『原田祖岳』(明治四(一八七一)年~昭和三六(一九六一)年:曹洞宗の僧。臨済宗の禅も兼修したことで知られる)も「延命十句觀音經講話」(原田祖岳著・正信同愛會『同愛叢書』第六輯昭和七(一九三二)年刊。以下は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像を視認して起こした)『大乘極致の信仰も哲理も實行法も完全に具つて居るといふ、大變結構なお經文』とし、『僅か』四十二『文字の最も短い経典として知られている』。『江戸時代に』経名に『「延命」の』二『字を付加し、弘通させたのは臨済宗中興の祖といわれる白隠である』とある。
「皓王觀音經」正しくは「仏說高王觀世音經」。当該ウィキによれば、『中国で撰述された偽経』で、『東魏の丞相高歓に因む応験が経名の由来とされる。霊験説話によって』、中国の『南北朝時代以降、庶民の観音信仰に大きな影響を与えた』。「大正新脩大蔵経」では『疑似部に収められている。この経を一千遍誦滿すれば重罪は消滅すると説く』とある。
「天台圓頓戒」古くは「圓戒」。天台宗で行われる大乗菩薩の守る戒で、法華によって組織された天台円教の理念と「梵網経」などによる菩薩戒(三聚(さんじゅ)浄戒)との結合によって立てられた戒で、これを受けるときは、既に成仏が約束され、これを犯すことがあっても、受けることによって得た止悪修善の原動力である戒体は失われない等と説く(平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。]