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2024/03/10

譚海 卷之十 駿州富士川釣橋幷うるい川の事

[やぶちゃん注:標題の「うるい川」、本文の「うる井」の異同はママ。]

 

○駿河、富士川、洪水の時、わたり、とまれば、川上三里に、釣橋といふへ、まはりて渡る。

 此釣橋、富士川の兩岸、岩(いは)ほ、指出(さいいで)たる、尤(もつとも)川はゞ、狹き所にかけたれども、長さ十五間[やぶちゃん注:二十七・二七メートル。]ほども、あり。それへ、むかひの岸より、こなたの岸へ、太綱二筋を引渡(ひきわた)し、その綱に、又、ほそき綱を、鼓(つづみ)の「しらべ」をかけたる如く、あやに、くみ、桁(けた)となして、其上に、松板を、一枚づつ敷(しき)ならべ、此板を、ふみて、行(ゆき)かよふなり。

[やぶちゃん注:「しらべ」「調緒(しらべを)」のこと。能で用いられる楽器の鼓(大鼓・太鼓・小鼓)で使用される紐のこと。鼓の胴に張られた皮を締め付けて、それぞれの楽器にあった音色を出す役割を担う部品である。]

 二本の大綱の大(おほき)さは、醬油樽の𢌞りの如く成(なる)を、かた岸(ぎし)に、大木(たいぼく)の根を便(たよ)りに、からみて、「ひかへ」[やぶちゃん注:「杭(くひ)」の意。]となし、かたぎしは、からむべき木も、なきゆゑ、川岸の岩を、ふかく掘(ほり)て、その穴へ、石碑をたて、大綱を石碑に、からみ、まとひて、「ひかへ」とせり。

 石碑には、「七面大明神」と、ほり付(つけ)あり。

 又、「あや」に、くみて、桁となしたる綱も、太さ、尺𢌞りの「から竹」ほど、あり。

 綱は、いづれも「藤つる」を碎(くだき)、なひて、こしらへたるものなり。

 いかにも丈夫に拵(こしらへ)たる橋なれども、半途には、しなひ、たるみて、甚(はなはだ)危くみゆれど、わたる人は、さのみにも、おぼえず。

 但(ただし)、川はゞ、せばき所ゆゑ、橋の下を過(すぎ)る水は、岩に、せかれて、瀧の如く、ほとばしるゆゑ、これを見ては、中々、膽(きも)、ひえて、わたる事、叶はず。

 その土人は、川のむかひにも、田をつくりて、つねに耕作にも行(ゆき)かよふゆゑ、晝餉(ひるげ)の飯櫃(めしびつ)など、頭にいたゞき、手にも茶瓶など、たづさへて、わたれども、何の苦もなくみゆるは、皆、水底(みなそこ)見ずして、むかひの岸をのみ、見て、わたるゆゑ、恐(おそる)る心、なきまゝ、心やすく渡る事なり。

 尤(もつとも)、橋の「はゞ」も、壹間[やぶちゃん注:一・八二メートル。]餘あれば、あやまち、つまづきても、水に落(おつ)る事は稀なれども、風のつよく吹(ふく)ときは、橋、うごき、さだまらぬゆゑ、土人も渡る事をせず。

 又、板を、あやぶみ、ふまずして行(ゆく)ときは、橋、かたむきて、わたりがたし。

「案内をしらずしては、大(おほき)に迷惑する事。」

と、いへり。

 また、富士川にならびて、「うる井川」といふあり。此川、又、ながれ、はやき事、ふじ川に、をとらず[やぶちゃん注:ママ。]、甲州身延山ヘ參詣して、下向には、おほく、此川を、舟にて、くだる事なり。川は舟道十里もある所を、時のまに、過(すぐ)る。

 川に、所々、岩ほ、きほひ出(いで)たるあはひを過れば、あやまちて、岩に舟をつきあつれば、くだくる故、此川になれたる船頭を、えらびて、のるなり。

 岩に、舟の近づくを、うかゞひて、船頭、棹(さを)、とりなほして、岩をもち、竹にて、鳥をさす如く、つけば、其いきほひに、舟、めぐりて、岩間を過(すぎ)はしる事、十間・廿間に、をよぶ[やぶちゃん注:ママ。]。又、岩にあへば、かくする事にて、左をつき、右を突(つき)て、ながれに乘じて、くだる。船頭、すこしも、わきめつかふ事なく、功者のものならでは、けがある事なり。

 年々、くだる舟に、つかれたる痕(あと)、川の中の岩に、あまた、ありて、大(おほい)なる穴を、なし、くぼみてみゆ。

「関根といふ所に、舟、着(つく)事。」

といふ。

[やぶちゃん注:「富士川」(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)の渡しについては、「静岡県立中央図書館」公式サイト内の「資料に学ぶ静岡県の歴史」「18 絵画が語る富士川の渡し ~舟橋と渡し舟~」PDF)の『2 河川の徒歩』に、『富士川は』、「海道記」には『「この川は川中によりて石を流す、巫峡(ふきょう)の水のみ何そ船を覆さん、人の心はこの水よりも嶮しけれは、馬をたのみて打渡る」とみえる。川中を石が流されていくような急流のありさまを、中国長江上流の難所「巫峡」に例えており、馬で渡河したと記述されている。また』、「十六夜日記」では、『「ふし河わたる、朝川いとさむし、かそふれは十五瀬をそわたりぬる」とみえる』。「海道記」の『記述とは趣を変えて、合計』十五『の瀬を渡ったと述べられている』。『川の流れが』十五『本に分かれていたとの記述で、急流との表現はない』。「海道記」の『作者は』四『月、阿仏尼(あぶつに)は』十二『月(いずれも旧暦)に旅しているので、初夏と冬場の水量の違いが反映しているのであろう。阿仏尼は冬の渇水期にあたり』、『徒渉が楽だったようである』とあり、『3 富士川の渡し』では、「一遍上人絵伝」第六巻第三段の『鰺坂(あじさか)の』『入道入水往生の場面』を例として、以下の記述がある。『一遍は時宗の開祖で』、文永一一(一二七四)年から正応二(一二八九)年に『かけて諸国を遍歴して念仏を勧めた聖』(ひじり)『で』、彼の遊行を描いた「一遍上人絵伝」は、『一遍の遊行(ゆぎょう)の様を描いた』全十二『巻の絵巻で国宝に指定されている。この場面では、武蔵(むさし)国の鰺坂入道が遁世(とんせい)して時宗への入信を希望したものの果たせず、念仏を唱えながら富士川で入水自殺して極楽往生する情景が描かれている。こここには富士川の渡しがみえ、上流に舟橋が、下流に渡し舟が描かれていて、鎌倉時代の富士川を描いた唯一の絵画資料である』。『舟橋は、右岸に杭が』二『本打たれ、左岸には籠(かご)に河原石が詰められた石積みが』二『つあり、これらを』二『本の綱で結んで上流に舳先(へさき)を向けた舟を繋いでいる。舟の上には舟の向きと直交する形に大きな板を敷いて固定し、その上に舟と同じ方向に幅の狭い板が敷き詰められている。このように当時の舟橋が三重構造であったことが読み取れるが』、「一遍上人絵伝」は『舟橋の構造を具体的に知ることのできる貴重な資料である』とあり、縄のみの吊り橋、所謂、「野猿(やえん)」の記載はない。津村の本篇は伝聞と思われ、実見とは思われないので、この舟橋の話を、スリリングに変造して語られたものを、無批判に記したものかと思われる。

「うる井川」「甲州身延山ヘ參詣して、下向には、おほく、此川を、舟にて、くだる」とあるが、その場合は、どう考えても、富士川を下るとした読めない。「うる井川」は「大井川」を想起するが、身延山から下向というルートとしては、激しく西方にずれており、おかしい。富士川の西にある安倍川なら、納得出来なくはないが、やはり、ルートを考えると、「おほく、此川を、舟にて、くだる」とするのは、頭をかしげざるを得ない。]

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