譚海 卷之十一 增上寺二世上人火車來現の事
○增上寺二世上人は、正しく火車(くわしや)の來現(らいげん)を得て、往生を大衆に示し給ふ人也。
夫(それ)より、增上寺には、火車の論に及(およぶ)事なし。上人、火車に乘(のり)て、西方に飛行(とびゆか)れし時、辭世の歌に、
火宅をばまたもや出(いで)む小車(おぐるま)に
乘(のり)得てみればわがあらばこそ
[やぶちゃん注:「增上寺二世上人」室町時代の聡譽酉仰(ゆうこう 応永二五(一四一八)年~長禄三(一四五九)年)。永享一一(一四三九)年に増上寺二世となっている。「深義集」を講義するなど、教学に通じた。下総出身。俗姓は千葉。号は明蓮社聡誉。編著に「五重口伝抄」などがある。
「火車」この場合は、妖怪や怪奇現象、及び、妖怪としてのそれではないようである。後者の「火車」なら、私の怪奇談に数えるに遑がないほどあるが(新しいのものでは『柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「火車」』を見られたい)、西方浄土へ向かう「火車」というのは、私は、聴いたことがないだが?]