譚海 卷之十一 眞言宗三寶院・西の院二流の事
○眞言宗に、「三寶院」と、「西の院」とて、二流、有(あり)。
「三寶院」の學道に、實運と云(いふ)人有(あり)。「ゲンピラ鈔」[やぶちゃん注:底本にはカタカナ部分に右傍注があり、『(嚴毘羅)』とある。]といふものを著述して、祕記を傳へたる人也。
「ゲンビラ」とは譚語には「甚深(はなはだふかい)」といふ事也。
夫(それ)が、いかなる事、有(あり)けるにか、「西の院」へ歸(き)して、勸修寺(かじゆうじ)僧正の弟子に成(なり)しかば、僧正、大(おほい)に悅(よろこび)て、
「實運は『三寶院』流の學道なるを、我(わが)流に歸したるこそ幸(さいはひ)なれ。」
とて、祕藏ありて、「西の院」の祕密、ことごとく傳へられけり。
其後(そののち)、僧正の鍾愛(しようあい)の兒(ちご)有しが、下男と懇意して、寺を、うちつれて立去(たちさ)り、あづまへ、近所に豆腐(とうふ)あきなふ店を設けて、相住(あひぢゆう)して居(をり)たるを、僧正、殊に憤り怒られけるを、實運、
『よしなき事。』
に思ひて、僧正を、いさめなど、しけれども、用られざりしかば、僧正を恨(うらみ)はてて、又、「三寶院」流に成還(なりかへ)りたり。
其時、僧正、大に、いかりて、
「我を、すかして『西の院』流の祕書を殘りなく傳へ得て、今、又、本院へ立歸りぬるこそ、くせ事なれ。正に宗門の法敵(ほふてき)也。」
とて、殊に恨みを合(あはせ)て、「閻魔天の法」といふを修(しゆ)して、實運を呪咀(じゆそ)せられけり。
其法、黑衣裝束にて、皆、黑きものを用ひ、佛前の花にも「いばら」・「あざみ」など、針の有(ある)ものを供(ぐ)して修する、おそろしき法也。
三七日(さんしちにち)[やぶちゃん注:二十一日間。]修事(しゆじ)滿ずる夜(よ)、板緣の「せうじ」を、
「さつ。」
と、ひらきて、鬼形(きぎやう)のもの、來り、
「執事(しつじ)、成就致(いたし)たり。」
と、いひて、忽(たちまち)に失せたり。
卽時、實運は、房にありて、血を吐(はき)て死(しし)たり、とぞ。
此事、「眞言血脈集(しんごんけちみやくしふ)」と云(いふ)物に出(いで)たり。
[やぶちゃん注:この話、やや異同があるが、国立国会図書館デジタルコレクションの『眞言宗全書』第三十九(昭和九(一九三四)年真言宗全書刊行会刊)のここの左ページから次のページにかけて視認出来る。そこでは、「實運」を呪い殺した僧を「定海」とし「實運」の死因を「惡瘡」とする。「卷之十一」に入ってより辛気臭い中で、初めて面白く感じた。]
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