譚海 卷之十二 平澤左内卜筮幷光三儀德雲が事
○寳曆の比(ころ)、平澤左内と云(いふ)人有(あり)。
易に通じたる事、妙を得て、物を、おほひ[やぶちゃん注:「覆ひ」]、うらなはするに、其内の物を、さして、中(あつ)る事、神の如し。
林大學頭殿へも、度々、謁して、林家より、天府の像を給りて安置せし也。
又、
「本所旗元[やぶちゃん注:ママ。旗本。]衆何某の地面に、住居(すまい)する白狐(びやくこ)あり。八百歲に及ぶ。」
と、いへり。
みづから、「光三儀とくうん」と稱して、左内所へも、折々、來りて、易學を論じたり。「とくうん」、物語に、
「數年(すねん)、藝術を、人に、をしへ、傳ふる事を願(ねがひ)とす。如ㇾ此、業(わざ)、成就すれば、人間に生(うまる)るゝ事とす。利慾名聞(みやうもん)に拘(こだは)りたる人は、ともに語るに、足らず。世間に、十八人ならでは、ともなふて語る人、なし。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「寳曆」一七五一年から一七六四年まで。林家第四代林榴岡(はやしりゅうこう)か、第五代鳳谷 (ほうこく)。
「天府の像」こうした用語は知らないが、この「天府」とは、天空の中心である北斗七星に与えられた妙見(北辰(ほくしん))菩薩のことを指しているものと思われる。
「平澤左内」江戸中期の易者で医師。宝暦の頃、江戸で知られ、市中の売卜者の中で「平沢流」を名乗る者が多く出たという。通称は左内の他に左仲とも。医術にもすぐれ、著作に「卜筮経験」・「卜筮秘伝鈔」「医道便益」などがある(講談社「デジタル版日本人名大辞典+Plus」に拠った)。]