譚海 卷之十一 古瀨戶藤四郞の事
○古瀨戶といふは、尾張の地名也。古瀨戶の名器は、ハクアンと云(いひ)、至(いたつ)て稀成(なる)物にて、古瀨戶燒の元祖也。井戶より高價成(なる)物也。「なまこ藥」と稱するを、第一とす。藥の跡、多く付(つき)たるほどを、極品(ごくひん)とす。
[やぶちゃん注:鶴田純久氏のサイト「伯庵 はくあん」のこちらに非常に詳しい解説と当該茶碗の画像が載るので読まれたい。それによれば、この名は、『古唐津の流れ』で、『幕府の医官曾谷伯庵』(寛永七(一六三〇)年没。六十二歳)『の所持していた茶碗を本』とし、『その手のものを伯庵という。陶祖藤四郎の作であるといい、利休時代の黄瀬戸ともいい、あるいは朝鮮製と中国製ともいい、諸説入り乱れている』とある。なお、こちら(講談社「デジタル版日本人名大辞典+Plus」)には、同姓同名の曾谷伯庵(そだにはくあん)が載るが、生没年が後ろへずれているから、別人である。彼の父の曾谷宗祐は没年が一六三一年で近い。]