譚海 卷之十 五月十一日貴船社頭にて競馬判断ある事
○每年五月十一日、上加茂の神宮貴船御前に集(つどひ)て、競馬の判斷をなし、事終つて、酒宴を設くるを「竟宴(きたうえん)」といふ。
その日、神官、神前にて赤方・黑方と、わかち居(をり)て、競馬の勝負を、たがひに、論じあふ。
然れども、今は、儀式をのこしたる計(ばかり)にて、まことの論にはあらず、たゞ論のまねかたをなすのみなり。互に、いひつのりて、事、はてざるとき、社僧、いでて、
「以前より、双方の論ぜらるゝことを聞居(ききを)るに、甲乙わかたず、所詮、口論にては、事、はつまじ。これに、うちあひて、勝負を決し給へ。」
とて、木の大枝、二本を、もち出(いで)て、双方へ、あたふれば、すでに、双方、立(たち)あがりて、まくり手になりて、うちあはん、いきほひを、なすとき、末座(ばつざ)より、にげいでん體(てい)をなすを、社僧、おしとゞめ、
「是は、さて、にげ給ふにも、あるまじ。さらば、先(まづ)、勝負をやめて、神酒(みき)頂戴ありて、和合あるべし。」
とて、甁子(へいし)を、もていでて、すゝむれば、人々、あつまり、圓居(まとゐ)して、洒宴に及び、飮食、をはつて、退出する事、此日の祭儀なり、とぞ。
[やぶちゃん注:貴船神社には二度行ったが、「競い馬」を境内地でするのは、無理があるように思う。奥宮に至る参道を走ったものか。この儀式、五月五日の上賀茂神社の「競べ馬」があることは知っているが、貴船のそれは、現行では全く廃れたものかと思ったのだが、サイト「京都観光なるほどタクシー」の「京都のお話」「11.競べ馬(くらべうま)」に、『一週間ほどして行われるのが貴船神社の「しもと祭」で、これは負けた方の社家が勝った方の社家とその時の審判を呼びつけ、梅の枝で打ち据える行事です』。『ふたりに対して、悪口雑言、うっぷんばらしで何を言ってもかまいません』。『こうして負けた方のの社家の気持ちがおさまって、初めて祭りが終わったということで、競べ馬のために作られていた「らち」がはずされます』。『「埒(らち)があく」という言葉は、ここからきています』。『関西人が駄目な事を「あかん」というのも、この「埒があかん」の「あかん」なのです』とあるので、今も行われているらしい。しかし、フレーズ検索「貴船神社 しもと祭 競べ馬」で完全一致でヒットするのは、このページだけなのは不審ではある。私は京には冥い。識者の御教授を乞うものである。]