譚海 卷之十 武州二合半領の百姓大醉して水腫いへたる事
[やぶちゃん注:「瓢簞から駒」式の病気治癒譚で前話と直連関する。されば、冒頭に「又」があり、最後の一文も意識的確信犯である。]
○又、武州二合半領(にがうはんりやう)に、まづしき百姓ありけるが、水腫(すいしゆ)を病(やみ)て、總身(さうみ)、ことごとく、はれ、種々(しゆじゆ)、藥治すといへ共(ども)、功驗(こうげん)なし。
死にいたらんとするとき、したしきもの訊來(たづねきた)りて、病苦を勞(らう)し[やぶちゃん注:「労(いたわ)り」。]けるに、此百姓、いひけるやう、
「もはや、大病、平癒も期(き)しがたく、ちかきうちに、死(しぬ)べし。只、ねがはくは、濁酒(にごりざけ)を、心のまゝに飮(のみ)て死(しに)たし。としごろ、まづしければ、心のまゝに、のまぬ事の、ほいなくて死なん事、今生(こんじやう)の執心(しふしん)なり。」
と、いへば、訊來る人、うちききて、
「いとやすき事なり。望(のぞみ)にまかすべし。」
とて、やがて、濁酒を、二、三升、贈りける。
病人、大(おほい)によろこび、其(その)なかばばかりを、晝(ひる)のほどに、のみて、又、其夜、のこりの酒をば、のみつくしけるに、やがて、腹、大に、はりて、くるしき事、たへず。
いつとなく、小便をもらしけるに、限(かぎり)なく、一夜、小便、いでて、終(つひ)に、一、二日の内、水腫、治して、平癒せし、とぞ。
是も、おなじやうの物語に、なん。
[やぶちゃん注:「水腫」身体の組織液が異常に多量にたまった状態。皮下組織に起こった場合を「浮腫」 、体腔内の場合を「胸水」・「腹水」などと称する。
「武州二合半領」これは正確には「二鄕半領」が正しい。Enpediaの「二郷半領」(にごうはんりょう)によれば、『現在の埼玉県吉川市から三郷市にかけての地域』(この附近。グーグル・マップ・データ)『のことを江戸時代で称していた地名である。ここは早場米の産地として知られていた。なお、史料によっては二合半領とも書かれている』。『二郷半の由来は、江戸時代の初期にこのあたりを「吉川・彦成の二郷、彦成郷以南は下半郷」として、合わせて二郷半領と呼んだといわれている。この付近は江戸川、中川に挟まれた低湿地で洪水が多かったことから、一郷にすら値しない半領と言われていたが、江戸時代には水害対策により』、『早場米を出荷し』、『「葛飾早稲」として知られていたという。なお、異説として徳川家康の家臣で関東郡代を務めた伊奈忠次が、この地方を一生涯にわたって支配せよと家康から命じられたため、「一生にわたって支配(四配)するのだから二合半領」と忠次が言ったといわれているが、これについては信憑性が疑問視されている』とある。ウィキの「二郷半領用水」の解説より、肝を摑んでいて、しかも短く認知出来る。]