譚海 卷之十 能州の米幷北海道泊驛の事
[やぶちゃん注:「北海道」は「きたかいだう」。]
○能登國は富饒(ふねう)の人、おほくすむ所にて、米も上穀を生(しやう)ず。加州米(かしふまい)は赤米(あかまい)まじりて、下品とするなり。その國の一宮、殊に大社なり。尾州熱田の宮よりも大社なり。北國海道(ほくこくかいだう)よりは、十八、九里、海邊へ入(いる)所にあり。
又、
「北國海道、京より泊(とまり)といふ所までは、風俗、上方に似たり。泊を過(すぎ)て、北にこゆれば、皆、奧羽の風俗なり。泊を以て、兩地の風俗を、わかつ。」
といふ。越後領なり。
[やぶちゃん注:「その國の一宮」石川県羽咋市寺家町にある能登國一宮氣多(けた)大社(グーグル・マップ・データ)。
「泊」現在の新潟県長岡市寺泊地区(グーグル・マップ・データ)であろう。]
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