譚海 卷之十 奈良村監物事
○正親町院(おほぎまちゐん)の御時、奈良[やぶちゃん注:この後に編者の訂正傍注で『(村)』とある。]某といふ者、有(あり)。楠正成の支流なれども、足利家將軍に任ぜられし以來は、北朝に憚(はばかり)て「奈良村」を氏(うぢ)とし、潛居(せんきよ)せしが、正しく正成が十二世の孫なれば、織田信長公、吹擧(すいきよ)[やぶちゃん注:「推擧」に同じ。]ありて召出(めしいだ)され、
「南北朝と相わかれし事も、時の運に應じたる事にて、いづれへ從ひ奉りても、忠臣にふたつなき事。」
とて、其とき、改(あらため)て楠河内守正虎と號し、官位給はりしに、宸翰(しんかん)を染(そめ)られ、
今年より花咲(さき)そむる橘(たちばな)の
いかで昔の香ににほふらん
といふ古歌を、色紙にあそばして、正虎に賜りける。
大猷院公方樣[やぶちゃん注:徳川家光。]の時、諸家の系譜書、なべて、注進の事、仰出(おほせいだ)されし時、此正虎子孫、奈良村監物(けんもつ)といふ浪人にて在(あり)しが、右の次第、書上(かきあげ)、右の宸翰も、なを[やぶちゃん注:ママ。]所持してあるよし、申上ける。一旦、楠姓に復しぬれども、國初の時分は、又、奈良村を氏として有(あり)。浪人ゆゑ、もとの氏を、ふたたび名乘(なのり)けるにや。
公(おほやけ)の御記錄を、みし人の、かたりける。
[やぶちゃん注:「古歌」「新古今和歌集」の「卷之三 夏歌」に載る前書「題しらず」の藤原家隆朝臣の一首(二四六番歌)。]
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