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2024/03/30

譚 海 卷之十三 ばせう布の事 石菖蒲眼をやしなふ事 鄰家の竹引うつし植やうの事 松山生濕生異なる事 樹木室の事 蕙蘭こやし土幷植やうの事 蘭花賞翫の事

[やぶちゃん注:「蕙蘭」は「けいらん」で、本来は単子葉植物綱キジカクシ目ラン科セッコク亜科エビネ連 Coelogyninae 亜連シラン属シラン Bletilla striata を指すが、本文は単に「蘭」となっているので、広義の蘭(ラン)を指すものと採っておく。]

 

○芭蕉は、廣き庭には數(す)百本植(うゑ)て、皮をはぎて、「ばせを布(ふ)」を織(おる)べし。ばせを樹の皮、自然に脫し、見苦敷(みぐるしき)ものなれば、集(あつめ)て、たくはへ置(おき)、米をとぎたる水に、一夜、ひたし、一日、烈日にさらし、櫛をもちて、引(ひき)ならすときは、櫛の齒に隨(したがひ)て、こまかに、破(や)れ、わかれ、絲のごとし、それを、よりて、機(はた)にかくる也。

 

○石菖蒲(せきしやうぶ)、磁器に、うふる[やぶちゃん注:ママ。]といへども、土をもちて植(うゑ)れば、茂り生ずる事、甚(はなはだ)、美也。夏月、早朝に、葉の先へ、露を、あげて、懸(かか)る日は、風雨なく快晴の兆(きざし)也。その露を、指にうけて、眼に點ずれば、目をやむ事、なし。

[やぶちゃん注:「石菖蒲」「椽の下に植る草の事」で既出既注。]

 

○鄰家の竹を、我(わが)庭に引(ひか)んとするには、引んと思ふ所まで、地中を、一、二尺、掘(ほり)て、その内へ「馬ふん」を埋(うづ)め、土をかけ置(おく)時は、竹、堀(ほり)の内[やぶちゃん注:「前に掘った場所の中」の意であろう。]を、根ざしきて、我庭に生ずる也。

[やぶちゃん注:これは現在の民法上も、何ら、問題ない。根を伸ばして、他人の地所に竹が生えた場合は、隣家に連絡する必要はなくして(地中権は土地の所有者に帰するからである)、それから出た筍を食う場合でも、全くの合法だからである。但し、空中の場合は所有権は認められないので、柿の木が垣根を越えて自宅の空中に実をつけた場合は、連絡(相手が在宅で明らかに聴こえていることが確認出来れば、声掛けをするだけでもよいとされている)して、叩き落して食うことは、合法とされる。]

 

○山の手の樹を、本所(ほんじよ)[やぶちゃん注:市中の平地。]邊(あたり)の濕地に植(うゑ)るには、根の土を、よく、あらひ落(おと)して植(うゑ)れば、よく叢生(さうせい)する也。根に付(つき)たる土を、洗ひ落(おと)すゆゑ、新(あらた)なる土地の土に、なじみて、かじけぬなり[やぶちゃん注:「萎(しぼ)まないものである」の意。]。然らざれば、土氣、變らざる故、枯(かれ)て、うえ[やぶちゃん注:ママ。]つかず。

 

○山の手の松は、「親根(おやね)」とて、一筋、長く付(つき)たる根、有(あり)、夫(それ)に小(しさ)き根、おほく付(つき)て、ある也。其「親根」、土中へ入る事、ふかき故、掘出(ほりいだ)す時、損ずべからず。是は赤土にて、地面和らかなる故也。本所邊の松は、濕地ゆゑ、松の根、深く土中ヘ入ること、なし。四方へひろがりて、淺く叢生する也。されば、市中(いちなか)へ移すには、龜井戶うけ地邊(あたり)の松、よく生ずる也。山の手より移せば、「親根」、くさりて、枯(かる)る也。

[やぶちゃん注:「うけ地」「請地」で、この場合は、本来の地主から、誰かが貰った田地、或いは、誰かが、耕作・作物栽培・収穫を請け負った土地のことを言っていると考えられる。]

 

○植木の室(むろ)は、水氣(みづけ)なき穴藏ならでは、あしゝ。

 

○「蘭は、小石川水戶殿門前の土を、よし。」

と、いへり。又、

「紺屋(こうや)の藍瓶(あゐがめ)の底の土、こやしに、よし。」

と、いへども、何れも、年を逐(へ)て、かじけ、やせて、全(まつたき)功(こう)を見ず。

 爰(ここ)に、一奇法、有(あり)、下水の泥を、掘取(ほりとり)て、竹管(たけづつ)の上に置(おき)て、二日程、日に、ほし、「みゝず」などを、ほし殺して後(のち)、その泥を碎(くだき)て、細(こま)かなる水能(すいのう)[やぶちゃん注:「水囊」帆布製の携帯用のバケツ様のもの。或いは、食品等を掬って水を切るための篩(ふるい)。水漉し。]にて、ふるひ、細末になし、「ぬか」を。いりて、土を、ひとつに、まぜ、蘭を植(うう)る也。但(ただし)、いりたる「ぬか」は、土の十分一、まずべし。

 扨(さて)、蘭の根を、流水にて、よく洗(あらひ)て後、根に付(つき)たる「ひげ」のやうなる根を、ことごとく、切り去(さり)て、ふとき根ばかり、殘し、蘭の葉をくゝりて、植(うゑ)んとおもふ器(うつは)の中へ置(おき)、左の手にて、蘭を、もち、右手にて、土を、段々、入(いれ)て、蘭の、根と、根と、ひとつにならぬやうに、土にて隔(へだ)てつゝ植る。土を入れる事、九步(くぶ)通りの時、根の下まで、土の行(ゆき)わたりたるを見て、土を止め、指にて、よく、かため置(おき)て、其後、水を「ひしやく」にて、かける。器の下の穴より、水の出(いづ)るを、合圖にして、水を止める也。其後、再び、手をつくる事を、せず。

 蘭、よく生じて、年々、かじける事、なし。

[やぶちゃん注:「小石川水戶殿門前」水戸徳川家小石川屋敷。現在の小石川後楽園附近。明治になって陸軍東京砲兵工廠となった。なお、その北方に当たる高台の上の方に「こゝろ」の「先生」の大学時代の下宿があったことになっている。それは、私の「『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月19日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八十七回」の注が、まず、絶対に誰にも負けない方法で、当時の古地図を駆使して、厳密に検証してあるので、未見の方は、是非々々、読まれたい。

 

○蘭の花、咲(さき)たる時は、座敷にすゑ、「のうれん」・幕などにて。圍ひて、にほひの、外(そと)へ、散らぬやうに、すべし。

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