譚海 卷之十一 行者壇に異時の事
[やぶちゃん注:標題は、僧ではなく、修験道の「行者」が護摩「壇に」て修法を行う際には、僧のそれと「異時(いじ)の事」、異なる部分がある「事」の意であろう。]
○行者(ぎやうじや)、壇に着(つく)時、先(まづ)、諸障碍(しよしやうがい)を除く法(ほふ)ありて、「印像(いんざう)だらに」あり。金剛線をはじめ、壇上の物、皆、魔のうかゞふ事成(なり)がたきやうに構(かまへ)たる事にて、其後、諸佛諸尊を招待する也。佛を迎るを「招車路」と云(いひ)、修事、終りて、又、佛を送るを、「逆車路」といふ。「逆車路」の時、花蔓(けまん)[やぶちゃん注:底本には「花」の右に修正注『(華)』がある。]の花びらを一つ取(とり)て、「ハツケン」といふ事をして、左へ印を結(むすん)で送りかへす事也。
[やぶちゃん注:「印像だらに」「印相陀羅尼」の行者のズラしであろう。仏・菩薩の内面的意志や悟りの内容を表わすための器物、又は、手指の構え(=印の形)、又、印を結んだ姿。印契(いんげい)とも言う。
「招車路」・「逆車路」読み不明だが、「しやうしやろ」・「げきしやろ」と読んでおく。
「花」(華)「蔓」現行では、「華鬘・花鬘・花縵」で、金銅・牛革製の円形または楕円形のものに、唐草や蓮華 を透かし彫りにして、下縁に総状の金物や鈴を垂らす仏具を指すが、ここは壇に供えられた、本来の生花で造られたリング状の花環であろう。]