譚海 卷之十二 奈良屋安左衞門幷新吉原の事
[やぶちゃん注:登場人物から、これまでと同じく、佳風由来の一昔話である。]
○奈良屋某とて、有德成(なる)町人、有(あり)。
其子ども、兄を安左衞門、弟を茂左衞門とて、親より、十六萬兩づつ、讓金(ゆづりきん)を得て、おごりに、暮しけるまゝ、安左衞門は堺町中村座の金主となり、茂左衞門はふき屋町市村座の金主をして、日々、芝居へ入(いれ)こみ、桟敷を飾り立(たて)、藝者・役者など、かはるはがる、見舞に來りて、一日の興(きやう)を、つくろひしに、海老藏ばかり、桟敷へ、來らず、狂言へ出(いづ)る時、舞臺より式禮を、せし、ばかり也。
安左衞門、太鼓持に、和尙人庄助(おしやうにんじようのすけ)といふ人、有(あり)て、機嫌に、かなひ、安左衞門、盃(さかづき)の肴(さかな)に、五間口の屋敷を取らせける。今に和尙人庄助が跡は、其許(そこもと)に住(すみ)てあり。
又、新吉原、水、あしき所にて、年來、難儀せしを、安左衞門、ついえを、かまはず、掘(ほり)ぬき井戶を造らせければ、終(つひ)に、よき水を掘(ほり)得て、今に至るまで、吉原のもの、其惠(めぐみ)をいたゞく事になりぬ。「水戶尻(みとじり)」といふ所は、井戶のある所の名也。
茂左衞門は、名跡、斷絕せしかども、安左衞門跡は、今に殘りて、深川に住(ぢゆう)す。
定家卿長歌を買(かひ)得て、上へ奉り、
「何ぞ、望申度(のぞみまうしたき)願(ねがひ)有りや。」
と御尋被ㇾ遊(おたづねあそばれ)けるに、
「御目得仕事(おめみえしごと)を免許あるやうに。」
願(ねがひ)奉りて、今に、御目見町人にて有(ある)事也。