フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 20250201_082049
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« 譚海 卷之十 薩州行脚僧物語の事 | トップページ | 譚海 卷之十 水戶家士小池源太左衞門日野大納言殿病氣を祈禱して本復事 »

2024/03/05

譚海 卷之十 阿波國漁舟薩摩へいたりし事 附豐臣内府墳墓の事

○阿波の南海より、薩摩へは、甚(はなはだ)、近し。一日に舟の往來、成(なし)やすし。

 夫故(それゆゑ)、むかしは、時々、阿波の漁人、海上に釣漁獵して、薩摩へ至り、かしこにて、休息し歸る事故(ゆゑ)、おのづから知音(ちいん)出來、舟をかけ、煙草火(たばこび)など、もらふ所あり。

 其舟をよする所、薩摩の南海濱にして、岸上に嚴重なる番所のやうなる所あり。

 されども、海隅(かいぐう)なれば、番をするもの一兩人のみありて、寥々(れうれう)たる[やぶちゃん注:もの淋しくひっそりとしているさま。]事にて、さのみ何をまもる所ともみえざる所なれば、阿波の漁人も、つねにこゝろやすくかたらひよりて、得意成(なり)けるが、或る日、漁人、ふねをよせたるに、番所に一人もあらず、しばらく待居(まちをり)たれども、人氣(ひとけ)なきゆゑ、岸にのぼり、火をもらひに、番所へ入(いり)たるに、番所のうしろの門、いつもとぢてあるところ、あけて、あり。

『いかなる所にや。』

と、漁人、何心なく入行(いりゆき)てみれば、奇麗に掃除したる體(てい)にて、尤(もつとも)、人、なければ、おろおろ、入行(いりゆき)て、みれば、大成(おほきなる)石の五輪、二、三區(く)[やぶちゃん注:集めてあるのではなく、区切って建っていることを意味する単位表現。]あり。あやしみながら、なほ、入(いり)てみれば、最後の奧に、うるはしうつくれる塔一區ありて、神廟などのやうに見えたり。

 そのほかには、何もなければ、立(たち)もどりて、舟に居(をり)たるとき、例の番人、薪(たきぎ)を負(おひ)て、山より歸りたれば、又、漁人、舟より、あがりて、番人と閑話し、ふと、番人に、

「此奧に御座候御墓などのやうなるものは、いかなる物にや。」

と、たづねければ、番人、大(おほき)におどろき、

「其方達、見られしや。はなはだ、隱密なる事なれば、かならず、みたるよし、人に物語なすべからず、今日は、こゝの御墓掃除なせしついで、山へ木を伐(きり)に行(ゆく)とて、錠(ぢやう)さす事を、わすれたるなり。かへすがへす、此事、沙汰なしにすべき。」

よし、ふかく誡(いましめ)ける。

 さるは、豐臣秀賴の御墓をはじめ、眞田左衞門尉、其外の人々の墓にて在(あり)ける、とぞ。

 此のち、番人も、心をかけて、漁人にも、したしくあひしらはず、今は、絕(たえ)て彼邊(かのあたり)へ、他邦の舟よする事を、ゆるさゞる事に成(なり)たり、とぞ。

「されば、秀賴公をはじめ、人々、大坂をのがれて、此國に落(おち)、とまり、うせられける事、虛說ならず。」

と、いヘり。

[やぶちゃん注:この二人の墓と伝えるものは、鹿児島市谷山地区の海浜に近かった位置に現存はする(「ひなたGPS」の戦前の当該地を見よ)。サイト「鹿児島のまちの話題」の「鹿児島市にある豊臣秀頼のお墓」を見られたい。写真もある。]

« 譚海 卷之十 薩州行脚僧物語の事 | トップページ | 譚海 卷之十 水戶家士小池源太左衞門日野大納言殿病氣を祈禱して本復事 »