譚海 卷之十一 盆山石の事
○盆山石(ぼんさんせき)は、東山殿に、八つ、石、有(あり)。
其二つ、尾州家に傳(つたへ)られて、ともに名物の重器也。
一(ひとつ)は「夢の浮橋」、一は「クセンハツカイ」と號す。
「夢の浮橋」は、元來、後醍醐天皇の御物(ぎよぶつ)にして、定家卿の和歌の意をとりて、勅名ありし物也。
「クセンハツカイ」は、佛經に「九山八海」と云(いふ)事あり、夫(それ)にかたどりて名付(なづけ)たるものか。
又、「觀音のシキ[やぶちゃん注:「式」。]の法」に、「クセンハツカイ」と云(いふ)事、有(あり)。印像(いんざう)は九頭龍なれば、夫にかたどりて、名付たる物か。子細、わからず。
其節の六石は、うせて傳らず。惜(をしむ)べき事也。
又、京都紫野大德寺塔中、大空庵に、「殘雪」と云(いふ)盆石、有(あり)。賴朝卿御臺所政子所持の物なり。甚(はなはだ)大なる石にて、四人程にて舁(かき)て持(もち)たるゝ石也。
盆山に、砂を敷(しく)事をば、「うつ」と云(いふ)也。盆山に砂うつ歌、東山殿御詠と云(いひ)傳へたり。
盆山の前にはふたつ濱庇(はまびさし)
うしろに遠き海ぞえならぬ
此心を以て、
「砂、うつこと。」
とす。
[やぶちゃん注:「夢の浮橋」現存する。「徳川美術館」公式サイト内のこちらで画像が見られる。
「クセンハツカイ」「九山八海」本来は、仏教の世界観で考える小宇宙の総称で、須彌山(しゅみせん)を中心とし、鉄囲山(てっちせん)を外囲とする、山・海の総称。中央の須彌山と外囲の鉄囲山と、その間にある持双山・持軸山・担木山・善見山・馬耳山・象鼻山・持辺山の七金山を数えて「九山」とし、九山の間に、それぞれ、大海があると説く。海は「七海」が内海で、八功徳水を湛え、第八海が外海であって鹵水海(えんすいかい)、この中の四方に、四大陸が浮かび、我々は、その南の大陸(南閻浮提)に住むとされる。この名を持つ庭石・盆石は複数あるようだが、信頼出来る論文中に『岩質不明』とあり、この義政の遺愛のそれは、現存しない模様である。
「觀音のシキの法」「シキ」は「式」。式法。思うに「観音懺法」(かんのんせんぼう)のことか。観音を本尊にして修(しゅ)する懺悔(さんげ)供養の法で、死者のために罪業を懺悔して、その消滅を請い、追福を祈るものである。
「京都紫野大德寺塔中、大空庵」現行の大徳寺境内(グーグル・マップ・データ)には、この名の塔頭は確認出来ない。
『「殘雪」と云盆石、有』この名の盆石は複数あるようだが、当該のものらしきものは、発見出来ない。
「盆山の前にはふたつ濱庇うしろに遠き海ぞえならぬ」この歌、ネットでは確認は出来ない。下句の意味が不審だが、「砂を打つことによってのみ、あくまで海を暗示させるもので、海を描ことは出来ない。」といった意味か。]