譚海 卷之十一 鎌倉建長寺梶原施餓鬼會の事
○鎌倉、建長寺にも、「梶原施餓鬼」と云(いふ)法事、每年、行ふ事也。
是も梶原平三(へいざう)景時の靈、往時、建長寺の和尙に解脫を乞(こひ)しより、此事、今に、絕(たえ)ず有(あり)と、いふ。
[やぶちゃん注:私のサイト版「新編鎌倉志卷之三」の「○建長寺」の項の「山門」の条に(古い電子化なので、正字不全を正して引用した)、『額は、建長興國禪寺、二行に書す。宋ノ子曇が筆なり。山門の樓上に十六羅漢(ラカン)あり。いつの時か紛失して、今八體あり。又此門下にて、七月十五日に、梶原施餓鬼(カジハラセガキ)と云を行ふ。相傳ふ、昔し開山』(宋の大覺禪師蘭溪道隆)『在世の時に、武者一騎來て、施餓鬼會の終りたるを見て、後悔(コウクハイ)の色有て歸る。時に禪師これを見て、呼(ヨビ)かへさせて、又施餓鬼會を設(モフ)けて聽(キ)かしむ。時に彼武者、我は梶原景時(カヂハラカゲトキ)が靈なりといひて謝(シヤ)し去る。爾(シカ)しより以來、此寺には每年七月、施餓鬼の會終て後(ノチ)、梶原施餓鬼と云を設るなり。心経を梵音(ボンヲン[やぶちゃん注:ママ。])にて、二三人にて誦(ヨ)む。餘(ヨ)の大衆は無言にて行道するなり。是を此寺にて梵語心經と云なり。』とある。]
« 譚海 卷之十一 江戶神田明神平將門の靈なる事 | トップページ | 譚海 卷之十一 永平寺開山道元禪師白山權現と和歌贈答の事 »