譚海 卷之十一 叔父中西邦義物語唯一神道の事
[やぶちゃん注:この巻は、冒頭から、有意に宗教絡みの記事が五十篇ほど蜿蜒と続く。]
「神代の卷抔(など)に不可思議なる事も書(かき)つゞけたるは、全く神書(かみつしよ)の事は、天子の御系圖ゆゑ、あらはに書記(かきしる)しがたきまゝ、婉曲に、かく、作りたるもの也。はじめの詞(ことば)、「淮南子(ゑなんじ)」の文を移したる、比喩をもととして言(いひ)たるゆゑ成(なり)。」
とぞ。
[やぶちゃん注:「中西邦義」不詳。
「はじめの詞」「日本書紀」冒頭の、
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古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鷄子、溟涬而含牙。及其淸陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定。然後、神聖生其中焉。故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物。狀如葦牙。便化爲神。號國常立尊。
(古へ、いまだ、天地、剖(わか)たれず、陰陽、分(わか)れざるとき、渾沌たること鷄子(とりこ)のごとく、其の淸く陽(あきら)かなる者は「天」となり、重く濁れる者は地となれり。天、先づ、成りて、後(のち)に、地、定まる。然して後、神聖、其の中に生(あ)れます。)
とあるが、この文は、明らかに「淮南子」(後注参照)の「天文訓」の、「天墬(=地)未形、馮馮翼翼、洞洞灟灟、故曰太(=大)昭。道始于虛廓、虛廓生宇宙、宇宙生氣。氣有涯垠、淸陽者薄靡而爲天、重濁者凝滯而爲地。淸妙之合專易、重濁之凝竭難、故天先成而地後定。」とあるのが原拠。「古事記」上卷序の一部も、同じ書が原拠である。
「淮南子」前漢時代の哲学書。全二十一編。淮南(わいなん)王劉安が編纂させた「鴻烈」(こうれつ)の現存する部分。道家思想を基礎に、周末以来の諸家の説を取り入れ、治乱興亡・逸事などを体系的に記述したもの。「ゑなんじ」の読みは、本邦の漢文学の勝手な読みで、根拠は全くない。]