譚海 卷之十一 白隱和尙一切經七度窺れし事
[やぶちゃん注:「窺れし」は「みられし」と訓じておく。]
○白隱和尙の博學は雙(ならぶ)もの、なし。
「一切經(いつさいぎやう)」を、七度(しちたび)、見られける、とぞ。
參詣の人、何(いかなる)宗門によらず、參りて敎(をしへ)を乞ふ時、卽(すなはち)、其人の宗旨によりて、經中(きやうちゆう)の疑問を發せらる。眞言宗のものには、「大日經」の中(うち)の語を以て問(とひ)を擧(あげ)、淨土宗の人には、「三部經」の中の事を、難則(なんそく)にせられける。
皆、不用意に出(いださる)る所也。
[やぶちゃん注:「三部經」「淨土三部經」。大乗仏教の経である「佛說無量壽經」・「佛說觀無量壽經」・「佛說阿彌陀經」の三経典を合せた総称。法然を宗祖とする浄土宗・西山浄土宗、親鸞を宗祖とする浄土真宗(この二宗は現在の日本では最も信者人口が多い)に於いては、これらを根本経典としている。
「難則」難しい問い糺し。
「不用意」問うた人が、全く、あらかじめ想定していなかった法問。]