譚海 卷之十一 同じく新刀の事
[やぶちゃん注:「同じく」は前話「本朝名刀幷鍛冶の事」を受けたもの。前に同じく注は附さない。「新刀(しんたう)」とは、近慶長年間(一五九六年~一六一五年)以後に製作された刀の総称である。]
○新刀(しんたう)には、和泉守兼定と云(いひ)、關物(せきもの)にて高價也。昔は金三百兩計(ばかり)の料(れう)成(なり)しが、今は、十分一に成(なり)たり。
又、一條の住(ぢゆう)、堀川圖寂と云(いふ)物、有(あり)。新刀の中(うち)にて、是を第一と稱する。豐臣太閤の時に當りて、「朝鮮釜山海(ぷさんのうみ)に於て打(うつ)」と云(いふ)銘などあるもの也。
又、「梅只明壽」[やぶちゃん注:底本では「梅」と「只」に編者による右訂正注があり、前者に『(埋)』、後者に『(忠)』とある。]といふものあり、上作也。堀川の國廣も、肥前の忠吉も、明壽の弟子也。肥前の忠吉、殊に稱美の物也。忠吉は松平信濃守殿家中にて、俸祿百五十石給はり、子孫、今に相績して有(あり)。夫(それ)ゆゑ、信濃守殿には、忠吉の打(うち)たる刀、數多(あまた)有(あり)。
「二王(にわう)」といふも、周防(すはう)の物にて、甚(はなはだ)切(きれ)もの也。出來は、全體、下品成(なる)物にて、忠吉・國廣などよりは、賤しく見ゆる也。
「『三入(みいり)二王』と銘の有(ある)刀ありしに、此『三入』は法名(ほふみやう)なれば、價(あたひ)、のぼりがたし。『三入』の文字を磨落(するおと)せば、高價に成(なり)ぬる。」
よし、いひたれども、其(それ)、「後(あと)三入」の「往(ゆき)二王」と有(あり)。
銘の物を見れば、「三入」は法名にはあらず、住所の名なる事をしらざりし也。
繁慶(はんけい)は、享保年中[やぶちゃん注:一七一六年~一七三六年。]の鍛冶にて、當時、甚(はなはだ)、高價なる物也。
「虎徹(こてつ)」といふも、繁慶より、少し已前の新刀なれども、劣らぬ價のもの也。「忍岡邊に於て作る」と銘ある物也。「池の端」に、今に子孫、住居(まい)するよしを聞(きけ)り。
又、近來(きんらい)、粟田口(あはだぐち)の住、「一竿子(いつかんし)忠綱」といふ新刀、有(あり)。見事成(みごとなる)事、いふべきやうもなきもの也。全體、彫物師なれども、刀をうつ事、殊に妙を得たり。新刀にても拂底(ふつてい)成(なる)物にて、金子、四、五十兩の價也。紀州殿、大刀にて百兩に御買上に被ㇾ成候事也。

