譚海 卷之十一 おらんだ矢に毒を塗幷ヘイサラバサラの事
○紅毛人、其邦(くに)にて、矢に毒藥を塗(ぬり)て猿を射る時は、矢の跡、疣(いぼ)に成(なり)て落(おつ)る也。
其「こぶ」を、「ヘイサラバサラ」といふ。
雞卵(けいらん)の形の如く、色も、たがはず、堅く見事成(なる)物也。
是にて、小兒(しやうに)の經絡(けいらく)の所を、なづれば、疱瘡(はうさう)を輕くして、怪我(けが)ある事、なし。
又、人の眼(め)を撫(なづ)る石、おらんだより、持渡(もちわた)る事也。
其石にて、眼のかすみたる時、撫れば、明らかに、覺ゆる也。蠻名(ばんめい)を忘れたり。
[やぶちゃん注:「ヘイサラバサラ」(ポルトガル語:pedra (「石」)とbezoar (「結石」)を重ねた語のカタカナ音写か)は、一般には、近世以降、四足獣類の体内結石、及び、悪性・良性の結節性腫瘍等を指す。本邦では、「鮓荅」が一般的で、通常は、これで「さとう」と読む。その正体は、牛・馬・豚・羊・犬などの胆石や腸内の結石で、古来、諸毒の解毒剤とされたり、「雨乞いの呪(まじな)い」の呪具として用いられた。「石糞」「馬の玉」「ドウサラバサラ」等、異名が多い。私の記事では、古い順に、
「耳囊 卷之四 牛の玉の事」(二〇一二年)
「柴田宵曲 續妖異博物館 診療綺譚」(二〇一七年)
「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 狗寳(いぬのたま) (犬の体内の結石)」(二〇一九年二月十一日)
「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 鮓荅(へいさらばさら・へいたらばさら) (獣類の体内の結石)」(二〇一九年二月十九日)
があるので、見られたい(一番最後のものがよいだろう)。本冒頭の「紅毛人、其邦にて、矢に毒藥を塗て猿を射る時は、矢の跡、疣に成て落る也」というのは、ちょっと異国人が奇異感を高めることを狙って、屋矢毒・類人猿・疣が捏造している感じがするが、矢毒のレベルが低く、ゴリラなどの大型種或いは個体の場合、抗原抗体反応で、致命的な腫瘍や壊死を惹起せず、皮膚表面へと毒物を塊りと成して押し出し、瘤状に固くなり、それが剥落するということは、あっても不思議ではない。毒から生じた、それを、「ヘイサラバサラ」と呼ぶことと、その形状を『雞卵の形の如く、色も、たがはず』白く、『堅く見事成物』と表現しているのは、先にリンクした「鮓荅」のポピュラーな結石的属性と、よく一致している。
後者の、眼のかすみを治癒するという石の名は、「オクリカンキリ」(ラテン語:oculi cancri。但し、元来は「カニの眼」の意である)で日本語では「蜊蛄石」(ざりがにいし)と呼ぶ。これは、十脚(エビ)目抱卵亜(エビ)目異尾(ザリガニ)下目Astacideaザリガニ上科Astacoideaのザリガニ類の、胃の中にある胃石(二個あるとも言う)の古称であり、辞書によっては、胃石は石灰質で、食物を砕く働きをするものであるが、昔は、この胃石をとり出して、眼病の薬や、肺病などの民間療法の薬、或いは、利尿剤に用いていたとあるが、事実、この胃石には、吸収しやすい形の非結晶ACC(Amorphous Calcium Carbonate)で、カルシウムが含まれているだけでなく、様々な栄養素や免疫成分が凝縮されており、薬効が、実際にあるのである。私の記事では、古い順に、
「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 龍骨」(二〇一四年)
『毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 福蟹(フクガニ) / ニホンザリガニ』(二〇二二年)
が参考になろう。]