譚海 卷之十一 刀八毘沙門修法の事
○「刀八毘沙門の法(ほふ)」と云(いふ)は、「テイケンカイケン」等の書にも見えず、慈眼大師、直(ぢき)に感得し給ふ法也。
名劍を本尊にして、毘沙門天を修する法也。
「地天盤」といふ物を置(おき)て易の卦(け)をたて、夜八つ時より、修(しゆ)する法也。
「大師、正念呪(しきゃうねんじゆ)の時、毘沙門天、したしく藥を給ひしによりて、大師、長壽にて、三百歲迄、存命ありし。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「刀八毘沙門」当該ウィキによれば、刀八毘沙門天(とうはちびしゃもんてん/とうはつびしゃもんてん)は『毘沙門天信仰の内に発祥した異形像である』。『正式な経典、由来は定かではない。「刀八」とは、兜跋(とばつ)から発祥したと考えられ、戦国時代に多くの武将達の信仰を集めた』。『姿は、兜跋毘沙門天とは異なり、三面十臂像・四面十二臂像など様々である。共通して特徴的なのは、刀を八本持ち獅子に乗る像が多く見られる。さらに大部分の刀八毘沙門天は、頭上に如来を頂いている姿が目立つ』。『信仰の上で、通常の毘沙門天信仰と変わりはなく、戦国武将の守り本尊として祀られるケースが多い。戦国武将の上杉謙信は、刀八毘沙門の旗を掲げていた』とある。
「慈眼大師」家康のブレインとして知られる謎の多い天台僧南光坊智楽院天海の諡号。]