譚海 卷之十一 柔術に死活の法ある事
○「やはら」に「死活(しくわつ)の法(はう)」といふ有(あり)。
死は、ある事なれども、活法は稀也。
「やはら」には、人の胸の脇・乳(ち)の下をうつ事を、殊に恐るゝ也。乳の下の骨は、薄紙のごとく、柔(やはら)か成(なる)ものゆゑ、弘(ひろ)く、さはる時は、骨を、うち折(をり)て氣絕するゆゑ、群集(ぐんしゆ)の中を往來するには、殊に兩の臂(ひぢ)を脇につけて、はなさぬやうにして、用心をすべし。
「あて身」といふも、乳の下の骨を、あつる事にて、其儘、悶絕に及び、甚敷(はなはだしき)は死ぬるなり。
活法を傳へて聞(きき)おけるは、
「氣絕したる人の足のふしぶしを、手ぬぐひなどにて、堅く、くゝりて、氣の洩(もれ)ざるやうにして、其人の腹の上に、またがり、兩手をもつて、其人の丹田を、力一ぱい、ぐつぐつと、おす時は、死人、息出(いきいで)て、蘇生する。」
と、いへり。
聞傳(ききづた)へたるまでにて、いまだ、試(こころみ)たる事なければ、しかるや否やは、いまだ、しらず。