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2024/03/17

ブログ・アクセス2,120,000突破記念 譚海 卷之十一 朝士長崎七郞右衞門殿の事 附歰谷金王院別當の事 / 卷之十一~了

[やぶちゃん注:本「卷之十一」最終電子化は、昨夜午前零時前に、二〇〇六年五月十八日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の二〇〇五年七月六日)、本ブログが2,120,000アクセスを突破した記念として本巻の公開終了を、それとする。【二〇二四年三月十七日午後十二時五十六分:藪野直史】]

 

○長崎七郞右衞門と云(いふ)人、御家人にて、四谷内藤宿に住し、妙に種樹(しゆじゆ)の業(なりはひ)を得て、都下の植木を業とするもの、したひ、學ばずといふ事、なし。

 又、澁谷金王院(こんのうゐん)の別當も、種樹の事に通曉する人にて、常に物語(あり)有しは、

「貧僧、柏木(かしはぎ)を好(このみ)て、おのづから、其道に達せるゆゑ、思ひかけず、招待にも逢ひ、人に術(じゆつ)を傳ふるやうにも成(なり)て、今は、樂(たのしみ)の一つを、別に設(まふけ)たる事也。まして、世を救ひ、人をめぐむ業など、よき事なさば、功も、十倍なるべきを。」

と、いはれし。

 ことわり成(なる)事に、おぼへぬ。[やぶちゃん注:以下は底本でも改段落となっている。]

 此一言(ひとこと)は、叔父中西邦義の物語を書記(かきしる)すもの也。

 叔父、富貴の家に生れて、生涯、風流を好み、老に至る迄、世塵の事に關(かかは)らず。因(よつ)て、壯年に學びし事、老(おい)て、一事も、忘るゝ事、なし。

 此(この)件々(けんけん)の事も、一夕(いつせき)、暗記の物語にて、問(とひ)を、再び擧(あげた)たるもあらず。

 ことし、天明七年、七十七歲にて、猶、存命の人也。

[やぶちゃん注:「長崎七郞右衞門」不詳。

「四谷内藤宿」新宿区新宿内藤町(ないとうまち)のこの附近にあった(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「澁谷金王院」恐らくは現在の金王八幡宮である。國學院大學の最初の一年、私は、並木橋近くの路地を入った代官山の三畳に下宿にいた。金王八幡宮は私の通学路であった。貧しい、慘めな一年だった。

「叔父中西邦義」既出の本巻で冒頭に出て、途中にもしばしば登場する津村の叔父である中西邦義。以下の叙述から、この「卷之十一」の恐らくはその殆んどが、この叔父に捧げられたものであることが、最後に明らかになった。

「天明七年」一七八七年。本書の執筆終了は寛政七(一七九五)年。]

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