譚海 卷之十一 朝士鈴木淸兵衞殿劍術の事
○享保の比、御天主[やぶちゃん注:底本に補正傍注で『(守)』とする。]番に、鈴木淸平と云(いふ)人、有(あり)。劍術の名人にて、「キトウ流」と云(いふ)を傳へたる人也。
此人、物、書(かく)時に、かたはらより、其筆を取らんとするに、取得たる人、なし。
其比の酒井雅樂[やぶちゃん注:底本に補正割注で『(頭)(守)』とある。それで「うたのかみ」と読める。]殿、又、劍術の名人にて、立逢(たちあは)れけるが、負(まけ)て、鈴木の弟子になられたり。
[やぶちゃん注:「享保」一七一六年~一七三六年。
「鈴木淸平」鈴木清兵衞邦教。滝野遊軒の弟子。
「キトウ流」「起倒流柔術」。
「酒井雅樂」「頭」後に老中首座となった上野前橋藩第九代藩主・播磨姫路藩初代藩主の雅楽頭系酒井家第十四代酒井忠恭(ただずみ 宝永七(一七一〇)年~安永元(一七七二)年)か。]