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2024/03/13

譚海 卷之十一 解脫上人の事

○白隱和尙、物語に、

「明惠(みやうゑ)上人は、春日明神を、まさしく拜し給ふ。

 解脫上人は拜し給ふ事、なし。

 解脫、ふかく此事を歎(なげき)て、

『いかなれば明惠には邦まれ給ひ、山僧には拜まれ給ふ事、なき。』

と祈請し給ひければ、社壇の御戶(おんと)の内より、御うしろすがた、ほのかに見えさせ給ふ時、猶々、かこち給ふに、明神、託宜に、

『明惠は、信施の心、ふかし。そこには、此心なきゆゑ、みゆる事、なし。せめて願ふ事のわりなきまゝ、かくまでも見ゆる事ぞ。』

との給ひしに、解脫、猶、心をえずして歸り給ふに、ある時、房(ぼう)の庭に、夥敷(おびただしき)音のする事、有(あり)。

 解脫、ひそかに伺ひ見られければ、さまざまの鬼形(きぎやう)したる、えもいはぬものども、むらがり滿(みち)て、喰(くらひ)あひ、たゝかひあれど、其くるしみ、堪(たへ)がたく見へければ、ふしぎに思はれける時、香染(かうぞめ)の衣、著(き)たる僧、忽然と現じて、

『彼(か)のものどもは前生(ぜんしやう)に、皆、僧也(なり)しが、心施の心なくして、徒(いたづら)に一生を過(すご)しけるゆゑ、今、かく、魔界の身と成(なり)て、苦しみを受(うく)る事ぞ。』

と告(つげ)給ふ。上人、

『さるにても、信施の心持は、いかなる事に侍るにや。』

と問(とひ)給ふに、又、僧、答(こたへ)ての給ふやう、

『信施の志(こころざし)とは、深く衆生を哀みて、濟度の心、有(ある)を、いふ也。たとへ、今、身は淸淨眞如に、寶珠のごとく、みがきたりとも、信施の心なくては、甲斐なし。上人も、さるが爲に、遠からずして、彼等が眷屬にしたがひて、かくの如く、無量の苦しみを受(うく)べきぞ。』

と告(つげ)給ひて、又、かきけちて、此僧、見へず。

 上人、是より、深く慚愧して、常に化益(けやく)の心、深くおはしければ、後々は、明神、正しく拜まれ給ふ、といふ事、あり。

 此事、經說にもありや、搜しくるに、「一切經」の中に十三所まで見へたり。信施は菩提心の一大事成(なる)由、記し有(あり)。」

と、いはれける。

 又、和尙、申されしは、

「我酒を呑(のみ)、五辛をくらへども、心智の戒をたもてば、戒を破らず、たとひ二百五十戒をたもつとも、心智の戒なくては、いたづら事也。」

[やぶちゃん注:本篇は「卷之十一」の冒頭の中で、初めて興味深く読んだ。

「解脫上人」鎌倉前期の法相宗の僧貞慶(じょうけい 久寿二(一一五五)年~建暦三(一二一三)年)の勅諡号。祖父は藤原南家の藤原通憲(信西)、父は藤原貞憲。釈迦如来・弥勒菩薩・観音菩薩・春日明神を深く信仰し、戒律の復興に努め、法相教学の確立に大きな役割を果たした。その一方で、朝廷の信任も厚く、勧進僧と力を合わせ、由緒ある寺社の復興にも大きく貢献した、と当該ウィキにある。

「明惠上人」私はブログで「栂尾明恵上人伝記」電子化注を終えており、「明恵上人夢記」の電子化注を進行中である。御存知ない方は、当該ウィキを見られたい。

「五辛」当該ウィキによれば、『五つの辛味ある野菜のこと。五葷ともいう。酒と肉にならんで、仏教徒では禁食されている食べ物である。具体的には韮(にら)、葱(長ねぎ、玉ねぎ)、蒜(にんにく)、薤(らっきょう)、生姜(しょうが)のことである』。「楞厳経」(しゅげんきょう)の『巻八に、この五種の辛味を熟して食すと』、『淫が』、『めばえ、生で食すと』、『怒りが増し、十方の天仙は』、『この臭みを嫌い、離れてゆく』(此五種之辛、熟食發淫、生啖增恚、十方天仙嫌其臭穢、咸皆遠離)』『とある』。『もともとはインドのバラモンで禁忌とされていた。道教でも』、『同様に心が落ち着かず修行の邪魔になるとされ、食べないほうが良いとされている』。『地域や時代によっては』、『生姜が五辛に含まれなかったりすることがあり、生姜の代わりに香菜(コリアンダー)が含まれたり、長ねぎと玉ねぎを分けて、五辛にするなど経典や場所によって違いがある』とある。]

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