譚海 卷之十 駿州三穗明神筒粥の事
○駿河國「三穗の松原」に三穗明神、有(あり)。
每年正月十五日、社頭にて、「筒粥の祭」といふ事、竹を切(きり)たる筒の中へ、人々、五穀を盛(もり)て、持參して、其筒の儘を湯立(ゆだて)の釜の中へ沒し、熟したるとき、取出(とりいだ)して、其年の作・不作を占ふ。
竹の内へ納(いれ)て煮たる穀類、米なれば、其米、筒口まで十分に煮え盈(みち)たるときは、米十分の作とし、九分、八分なれば、その作とす。
大小豆(だいづ・あづき)・そば・稗(ひえ)・麥のるい[やぶちゃん注:ママ。]も、みな、しかり。
此占(うらなひ)、大樣(おほやう)[やぶちゃん注:概ね。]、たがふ事、なし。
則(すなはち)、其儘を、板に、ゑりて、社頭にて、賣(うり)渡す。みな、十二錢を出してもらひ歸り、壹年の作を試る事とす。
[やぶちゃん注:「三穗明神」現在の駿河国三之宮御穗神社(グーグル・マップ・データ)。以上は、そこで今も行われている「筒粥祭」(つつかゆさい)である。当該神社のウィキによれば、現在、二月十四日『夜から』十五『日にかけて行われる豊作祈願の祭』で、『祭事としては、まず拝殿前に大釜を据えて粥を煮る準備をする。そして夜半に海岸で神迎えの神座を設け、篝火を一切用いない中で祝詞奏上により神迎えの儀式を行う。迎えられた神は』「ひもろぎ」(「神籬・胙膰」で、古くは「ひもろき」。神事で、神霊を招き降ろすために、清浄な場所に榊(さかき)などの常緑樹を立て、周りを囲って神座(しんざ)としたもの。後には、神の宿る所として室内・庭上に立てた、榊などの常緑樹も指す)『に宿り、神職は』、その「ひもろぎ」を『持って松並木を通り神社境内に至る。その後社前の大釜で粥を煮て竹筒を入れ、筒の中に入った粥の量でその年の作柄の占いを行う』とある。同神社の『創建は不詳』で「駿河雑志」では、『日本武尊が勅により』、『官幣を奉じ』、『社領を寄進したとも、出雲国の御穂埼(現・島根県松江市美保関町)から遷座した神であるとも伝えるが』、『明らかではない』。『三保松原には「羽衣の松」があり、羽衣の松から御穂神社社頭までは松並木が続くが、この並木道は羽衣の松を依代として降臨した神が御穂神社に至るための道とされ』、『「神の道」と称される』、『現在でも筒粥神事では海岸において神迎えの儀式が行われるが、その際に神の依りついた』「ひもろぎ」は『松並木を通って境内にもたらされる』。『これらから、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える常世信仰にあると考えられている』とあった。]
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