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« 譚海 卷之十一 五穴辨天の事 | トップページ | 譚海 卷之十一 吉永昌庵辨財天問答事 »

2024/03/13

譚海 卷之十一 吉永昌庵辨財天問答事

[やぶちゃん注:最後の割注は前話と同様の処理をした。]

 

○吉永昌庵といふ醫師、深く辨財天に歸依し、信心無雙の人なりしかば、夢中に、天女に謁し奉りて、一七日(ひとなぬか)の間(あひだ)、寢たるごとくにて、問答あり。

 天女の託宣に、

「我(われ)、三國にあそぶといへども、汝がごとく、如法眞實の供養をうける[やぶちゃん注:底本では「け」と「る」の間に編者の補正註があり、『(た)』の脱字とする。]事なし。」

と、の給ひて、程々の示現(じげん)を蒙りたり。

 覺(さめ)て後(のち)、みづから、其次第を筆記し、祕藏せる一卷あり。其書、今、靑山出泉寺といふ眞言比丘の寺に納めあり。

 昌庵、吉夢の旨(むね)によりて、宇賀神を用ゐず、「最勝王經」の所說によりて、辨財天の像を造立(ざうりふ)し、兩親の齒髮(しはつ)を用ゐて、僅に植(うゑ)て、兩親を、卽(すなはち)、辨財天となし、七寶(しつぱう)を腹ごめにし、和說を盡して、本尊となせり。

 右造立の半(なかば)に至りて、典藥の命ありて召出(めしいだ)されし。

「全く、天女の加護、むなしからず。」

と、いへり。

 一生、福德自在にして、終りたる人なり。

 又、昌庵、「最勝王經」の圖を、「まんだら」に繪書(ゑがか)む發願(ほつぐわん)ありて、狩野梅春を、かたらひて、成就せしに、金泥を、摺鉢にて、すりて用ゐたり、とぞ。「まんだら」、五十幅に餘り、莊嚴無雙のことなり。都(すべ)て、貳萬貳千兩の金子を費し、成就したり。

 有德院公方樣、此「まんだら」、上覽ありて、

「本朝無雙の『まんだら』也。」

と上意ありたる、とぞ。

 後に、昌庵、此「まんだら」を、覺樹王院(かくじゆわうゐん)權僧正へ、寄附し、僧正、本所猿江へ隱居の時、隨身(ずゐじん)あり。彼(かの)寺に納置(をさめおき)たりしに、天明六年春、彼寺、類火にかゝりたる時、此「まんだら」も燒失せり。をしむべき事なり【註。この條、別本になし。】。

[やぶちゃん注:この話先行する「卷之一 官醫池永昌安辨財天信仰の事」、及び、それに続く「卷之一 覺樹王院權僧正の事」に酷似した話が、分離して載る。そちらを見られたい。津村、老いたり!

「吉永昌庵」不詳。但し、「有德院」は吉宗のことであり、同時代の医師に一字違いで吉永升庵(よしながしょうあん 明暦二(一六五六)年~享保二〇(一七三五)年)がいる。肥前長崎生まれで、オランダ商館医に外科を学び、漢方と蘭方を合せた医術に通じていた。わが国初の軍陣外科書「軍陣金創秘極巻」や「阿蘭陀外科正伝」などがある。或いは、この人か、その関係者であろうとは思われる。]

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