譚海 卷之十一 湯島靈雲寺開山覺彥比丘の事
○湯島、靈雲寺(れいうんじ)の開山覺彥比丘(かくげんびく)は、眞言の名德にて、常憲院樣、御歸依にて、斯地(かのち)、御建立、寺領、賜り、眞言律の寺を傳へたり。
覺彥の弟子に「ボンシヤウ比丘」と云(いふ)有り。又、無雙の學者にて、「毘沙門靈驗記」といふ書など、著述せし人也。
覺彥へ、法文(ほふもん)の事、御尋ありし序(ついで)、
「野僧が弟子『ボンシヤウ』と申(まふす)者、覺彥に勝れたる者。」
のよし、言上(ごんじやう)ありしかば、頓(やが)て「ボンシヤウ」を召(めさ)れ、登城せしに、講座の構(かま)へ、なかりしかば、「ボンシヤウ」一言(いちごん)にも及ばず。衣を拂(はらひ)て、退出せしより、御氣色、あしく、覺彥も公儀へ對し、其まゝに成(なり)がたく、「ボンシヤウ」をば、勘當せられけると、いへり。
[やぶちゃん注:「湯島、靈雲寺」現在の東京都文京区湯島にある真言律宗霊雲寺派総本山宝林山大悲心院霊雲寺(グーグル・マップ・データ)。
「開山覺彥比丘」浄厳(じょうごん 寛永一六(一六三九)年~元禄一五(一七〇二)年)は、江戸中期の真言僧。覚彦(かくげん)は字(あざな)。河内国出身。詳しくは当該ウィキを見られたいが、著書二十九種、全八十五巻に及ぶ学僧でもあり、供養儀式(悟りを得るための修法)にも精通し、また、大衆布教の一つとして、結縁潅頂(諸尊仏と縁を結び、仏の道に入りやすくする)という儀式を盛んに行ったことで知られる。
「常憲院」第五代将軍徳川綱吉の諡号。浄厳に深く帰依した。
「ボンシヤウ比丘」不詳。
「毘沙門靈驗記」類似した書名は複数あるが、「ボンシヤウ比丘」に相当する作者のものは不詳。]