譚海 卷之十二 傀儡師の事
○その頃までは、「くわいらい師」、又は「山猫まはし」とも、いふ。
箱に紐をつけて、えりに、かけ、箱を、おふて、門ごとに立(たち)て、「をぐら山」といふうたを、うたひて、箱のうちより、ちひさき人形を、一つ、ふたつ、出(いだ)して、うたに、あはせて、うごかし、はてには、
「山ねこが、ましよ。」
とて、何やらん、「いたち」のごとき、毛にて作りたるものを取出(とりいだ)して見する事なりしが、ちかき頃に成(なり)ては、そのたぐひ、何方(いづかた)へ行(ゆき)たるにや、傳(つて)も、なし。
「ふるき物のすたるるは、をしき事なり。」
と申されき。
[やぶちゃん注:底本には、最後に編者割注で『(別本缺)』とある。なお、この話、最後の「申されき」(敬語・直接過去)から推して、津村の亡き母の述懐の思い出話と思われる。
「傀儡師」「くぐつし」とも読む(わたしは「くぐつ」の読みが好きである)。人形を使って諸国を回った漂泊芸人。特に江戸時代、首に人形の箱を掛け、その上で人形を操った門付け芸人をいう。「傀儡(くぐつ)回し」「木偶(でく)回し」「箱まわし」「首掛人形」、また、ここに出るように「山猫廻(まわ)し」などとも称した。予祝演芸として新年の風俗として、季語にもなっている。
「山猫まはし」当該ウィキによれば、『首から下げた箱の中から猫のような小動物の人形を出すことから江戸では別名「山猫」とも呼ばれた』とあった。
「ましよ」「まし」は「ます(在す・坐す)」で、「来られましたよ」の意と思われる。
「傳」「つて」で、「仲立ち」(呼びだしたり、連れて来る手段や人物)の意、或いは、「人々の口・話」の意であろう。]