譚海 卷之十二 淺野家家士堀部安兵衞弟りうさいの事
[やぶちゃん注:なお、この前話の「京八坂の塔の九輪のはづれたるを直したる事」は既にフライング公開してある。]
○淺野家の家士堀部安兵衞弟、田宮りうさいと云(いふ)人、あり。今年、天明七年、猶、存命なり。
又、安兵衞妻、九十七歲にて、今年、卒したり。
[やぶちゃん注:文末に編者割注があり、『(別本缺)』とある。
「淺野家家士堀部安兵衞弟りうさい」確認出来ない。
「天明七年」一七八七年。
「安兵衞妻、九十七歲にて、今年、卒したり」この記載で、この記事全体が、作り話と判る。「堀部安兵衞」こと、堀部武庸(たけつね)の妻は、彼のウィキによれば、『偽者の妻』という項があり、『討ち入りから』七十『年後の安永』三(一七七四)年、『武庸の妻を名乗る妙海尼(堀部ほり)という老女が泉岳寺に庵を結んで、赤穂浪士の昔語りを始めて、江戸で評判になった。しかし、武庸の妻』『きちは享保』五(一七二〇)年に四十五『歳で死去しており、この老女は偽物である』とあった。以上の話は、その偽物出現の後であるから、懲りない輩は、陸続としてあったということになろうか。]