譚海 卷之十一 本朝古筆の事
○本朝古筆の内に、「名物切れ」と稱するものは、小野道風(をののたうふう)の書、「本阿彌ぎれ」と云(いふ)もの、第一也。唐紙地(からかみぢ)に書(かき)たるもの也。佐理卿は「とほし切れ」と讀(よみ)す。
是は紙の地紋、「絹もし」[やぶちゃん注:意味不明。]のごとくなるやうに見ゆる故、「もし」は、「物をふるひとほす」によりて、「とほし切れ」と云(いふ)也。
又、一種、「箔切(はくぎ)れ」と云(いふ)物、有(あり)。是は、紙の地に、銀泥にて箔を引(ひき)たるに、書(かき)たるもの也。
爲家卿は、種々(しゆじゆ)あれども、「越前切れ」といふを、第一とす。紙は白地にて、半分に、橫に、靑き色、まじりたるもの也。爲明卿は「こよみ切(ぎれ)」と云(いひ)、「古今集」を、曆のやうに、細く書(かき)たるもの也。
定家卿も、種々あるが中(なか)にも、『「後撰」の五首切』といふを最上とす。高價なる物也。
後水尾院の宸翰は、「引(ひき)さきたんざく」と云(いふ)を賞翫とす。紙を短册のやうに引(ひき)さきて、遊(あそば)したるものにて、殊に拂底(ふつて)なるもの也。
聖德太子は、皆、經文(きやうもん)を書(かき)給ふ斗(ばかり)也。其中に「寶塔(はうたう)ぎれ」といふは、高價なるもの也。金泥にて、寶塔を書(かき)て、其中に經文を、一字づつ書(かか)れたる物也。
天滿宮は金字の「法華經」斗(ばか)り也。普通には、紺紙金泥成(なる)物なれど、天滿宮斗(ばかり)は、紫地の紙に金泥也。多く、筑紫安樂寺より出たる物也。
古筆にて、延方(のぶかた)にて、天滿宮の御筆を、
「雷除(かみなりよけ)の守(まもり)也。」
とて、一字づつ、きり出(いだ)して所望の者に施す。禮金一兩づつ出せば、もらはるゝ也。
[やぶちゃん注:「延方」これは、現在の茨城県潮来(いたこ)市延方(のぶかた)ではなく、その北西に接する潮来市須賀南にある曲松須賀天満宮(グーグル・マップ・データ)のことではあるまいか?。]
又、天滿宮の御筆といへば、大かた、加賀守殿へ買上(かひあげ)らる。前田家は菅原氏なれば、何程(いかほど)ありても、價をおしまず、買上らるゝ事故(ゆゑ)、天滿宮の御筆は、殊の外、拂底に成(なり)たり。
鎌倉八幡宮寶物には、
「天滿宮の遊(あそば)したる「大般若經」あり。」
と、いへり。
親鸞上人の筆は、「八百屋きれ」と云(いふ)を最上とす。金一枚ほどの價也。
文覺上人の筆は、反古(ほご)のうらに書(かき)たる物ばかり也。
連歌師宗祇は、「大倉色紙」と云(いふ)あり。「やけとうし」[やぶちゃん注:意味不明。]に書(かき)たる物也。
後醍醐天皇は「芳野切」と云(いひ)、御製の歌を遊したる物也。
弘法大師は「鼠心經(そしんきやう)」と號す。「般若心經」の章を草(さう)にて書たるもの也。
紀貫之は、「古今集」を書たる有(あり)。「高野切」と稱す。
傳敎大師は「燒(やき)ぎれ」と號す。白紙に經文を書たる紙、上下、火にやけたる跡、有(あり)て、經文の所は、殘りたるもの也。いくらありても、皆、やけ切れ斗(ばか)り也。
小野の道風は「奈良切」と云(いひ)、名物也。「法華經」を書たる物也。
源三位(げんさんみ)賴政は、「平等院切れ」と云(いふ)。淺黃と白き紙に、「朗詠集」を書たる物也。
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