譚海 卷之十一 武州高尾山藥王院住持某の事
○武州、高尾山藥王院の住持某は、勇猛無雙の修驗者也。
常に、白狐、二つ、隨逐(ずいちく)[やぶちゃん注:「隨從」に同じ。]せり。
江府へ出(いで)らるゝ時は、
「邪法のやうにや、沙汰、せられん。」
とて、白狐をば、とゞめ、供(とも)せられず、とぞ。
是は、「ウブ律」といふ眞言宗也。世間にある「四步律」といふものにて、四分密敎を加へたるにて、「ウブ律」の全きには異(こと)なる事、とぞ。
「生涯の内に、生身(しやうしん)の不動尊に逢(あいひ)奉らん。」
とて、常に三七日(さんしちにち)[やぶちゃん注:二十一日間。]の護摩を修(しゆ)せられける。
護摩の爐(ろ)を、六尺四方の土壇(どたん)に拵へ、立行(りつかう)にて修せられける。
爐火(ろくわ)のもえあがる事、二丈ばかりにて、寄付(よりつく)べきやうもなきを、其傍(そのかたはら)にて、三七日、行ふ事故(ゆゑ)、滿日(まんじつ)の後(のち)は、面(おもて)の皮(かは)、火勢に、やけたゞれて、はげたる程の荒行也。
其初七日の間は持齋(じさい)にて修し、第二七日[やぶちゃん注:十四日。]の間は木食(もくじき)にて修し、後の三七日は、斷食にて修せられし、とぞ。
かばかりの勤行を、はげまれけれども、生涯、不動尊を拜(おがみ)奉る事なく入寂ありし、とぞ。
但(ただし)、
「男色(だんしよく)のかたを、捨られざりしかば、淫念(いんねん)、斷(たて)ざりしゆえ[やぶちゃん注:ママ。]に、不動尊、見得給はざるにや。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「高尾山藥王院」現在の東京都八王子市高尾町(たかおまち)にある高尾山(たかおさん)にある高尾山藥王院有喜寺(ゆうきじ:グーグル・マップ・データ)。「奥の院」に「不動堂」がある。
「ウブ律」「有部律」。仏教に伝わる「律」典籍の一つである「根本說一切有部律」。「上座部」系の「根本説一切有部」という部派の律。
「四步律」「WikiDharma」の「四分律」によれば、全『六十巻』で、『カシュミール(罽賓)の佛陀耶舎が、四分律を暗記して長安に来』っ『て、自己の暗記に基づいて訳した』ものとあり、訳したのは』四一〇年から四一二年の『ことである』。同『律典は〈戒本〉〈広律〉〈羯磨〉に分けられ、広律は』、『さらに戒条を解説する〈経分別部〉と行事を規定する〈犍度部〉に分かれる。現存する広律は漢訳』五『種、パーリ律』一『種、チベット語訳』一『種の』六『種』七『本である』。『広律とは戒本に対していう言葉であり、戒本は』二百五十『戒の条文のみの集成であるが、その条文の註釈や僧伽運営の羯磨』(かつま:受戒・ 懺悔(さんげ)の儀式作法。天台宗などでの呼称で、真言宗・律宗など南都諸宗では「こんま」とよむ)『などについて詳しい説明を含んでいるのが』、『広律である』。『したがって、十誦律・四分律・五分律・僧祇律はすべて広律であるから、内容の骨格はほぼ同じであるが、細かな点においては相違がある』。『四分律は曇無徳部』、『すなわち』、『法蔵部が伝えた広律である』。『全体として見るならば、四分律の説明は過不足がなく、行き届いており、勝れた律である。これに対し』、『十誦律は有部の律であるために、アビダルマ的な問答分別が多く、説明が煩雑で、直ちに意味を取りにくい点がある。しかし四分律は、十誦律を訳した羅什の弟子たちが長安で勢力があったので、翻訳の最初は十誦律に押されて、研究されなかった』。『中国における律学は、はじめは鳩摩羅什などが訳出した説一切有部の十誦律が主流を占めていたが、北魏仏教の隆盛と共に慧光』(四六八年~五三七年)『らが』、『四分律を宣揚し、その系統に道宣が出るに及んで』、『全土を風靡するに至った。道宣の起こした律宗を』「南山(律)宗」と『呼び、日本律学の実質的な祖と目される鑑真も』、『この系統に属する。したがって本書は日本や中国の律宗の原典というべき特に重要な位置にある』とあった。]

