譚海 卷之十一 求聞持修法の事
○「求聞持(ぐもんじ)の法」は、文殊菩薩を勸請する也。
「求聞持」を修(しゆ)すれば、才識は增進する事也。
然れども、文殊計(ばかり)、念ずれば、才識は增上すれども、我慢(がまん)[やぶちゃん注:自惚れ。]に成(なり)て、人の惡(にく)みを受(うく)る故、是にも「愛染法」を合(あは)して修する事也。
桑の木の板を、壇上に設けて、本尊とし、其下に、器物に桑の木を煎じ出(いだ)したる水を置(おき)て修す。
修事(しゆじ)、成就する時は、此水、湯のやうに熱する事也。
此水を「桑の乳(ち)」と號する也。
深山寂靜の地を、えらみて、夜八つ時[やぶちゃん注:午前二時頃。]に、「あか」の水を汲(くみ)て、百日の間(あひだ)、修する也。
本尊の瓶中に生(うえ)たる草花、百日の間、しぼまざるを驗(しるし)とす。
至(いたつ)て、障碍(しやうがい)多く、むづかしき法也。
本多伯耆守殿醫師に常閑と云(いふ)者有(あり)。惡疾をうけて出家し、捨身(しやしん)の行(ぎやう)をして、「求聞持」抔、修したる人也。
然れども、中年より出家したる者は、「晚年僧」とて、僧﨟(そうらう)の席(せき)におかす[やぶちゃん注:ママ。「置かず」。]。是を憤りて、高野山の「新別所」といふ所に引籠(ひきこも)りて、丹誠を盡し、修したる故、野山(やさん)の大衆(たいしゆ)、其行德に感じて、沙彌戒を授(さづ)けたる程の事也。
「求聞持」を修する半(なかば)に至りて、常閑、腹瀉(ふくしや)を煩ひて、死に至(いたら)んとせし時、大師、現じて、見得させ給ひ、
「汝が病氣、死業(しごふ)に非ず。助くべし。」
との給ひしに、卽時に、病氣、平意せる、とぞ。
[やぶちゃん注:「求聞持の法」は、文殊菩薩を勸請する也]「求聞持法」は密教で虚空蔵菩薩を本尊として行う、記憶力増進のための修法である。「文殊菩薩を勸請する也」は誤り。
「本多伯耆守殿」駿河田中藩藩主。正重系本多家。
「僧﨟」年功を積んだ僧の上席のグループ。
『高野山の「新別所」』「眞別所」が正しい。「WEB版新纂浄土宗大辞典」のこちらによれば、『俊乗房重源が高野山・蓮花谷南方の山中に開いた別所で、いわゆる重源七別所の一つ。専修往生院とも号する。真別処とも表記する。名称については、鎌倉時代以前に念仏聖らの集落を指す別所の一つとして新別所と呼ばれていたが、後代、別所という語に付随する卑賤な印象を一掃する目的で真別所の字が当てられた、とする解釈がある』。『中国の廬山慧遠(ろざんえおん)による白蓮社や』、『源信の二十五三昧会の先蹤を踏む念仏結社』で、『二十四蓮友社の拠点となり、往生講や迎講むかえこうと共に法然の影響を受けた専修念仏が営まれた。その実態は』「発心集」十三の『「斎所権介成清の子、高野に住む事」に窺うことができる。現在は円通律寺と称し、真言宗の修行道場となっている』とあった。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「沙彌戒」ここは沙彌・沙彌尼の受持せねばならない十戒(不殺生・不偸盗・不淫・不妄語・不飲酒(ふおんじゅ)・不塗飾香鬘・不歌舞観聴・不坐高広牀・不非時食・不蓄金銀宝)の沙彌十戒を確かに得たと認定されることを指す。
「腹瀉」激しい下痢。]