譚海 卷之十一 釣花生・水こぼし・竹花生の事
○釣花生(つりはないけ)は、全體、船にかたどりたるゆゑ、花を生(いけ)るにも、出船・入船・泊船といふ事、有。
此事、千家には沙汰なけれども、有樂流(らくりう)には口傳(くでん)、有(あり)。
花生に、くさりの一筋、かゝりたるかたを、「へさき」とし、二筋かゝりたる方(かた)を、「とも」と定(さだめ)て、一筋有(ある)方へ、かたよせて、花を生るを「出船」と云(いふ)也。二筋有方ヘ片寄(かたよせ)て生るを「入船」と云(いふ)。眞中に生るを「泊舟」と云也。釣花生に「松本船」・「淀屋船」と云(いふ)名器、有(あり)。何もサハリ也。
當時、此二つ、松平出羽守殿、買上られ、彼(かの)家にあり。何(いづれ)も、千兩餘の價(あたひ)の物也。二つ、共(とも)に、「唐受(からうけ)サハリ」にて、希代の物也。
常に賞翫する古器は、「朝鮮サハリ」・「堺サハリ」など也。
又、「棒の先」と云(いふ)釣花生、有(あり)。唐(もろこし)の古代の輿(こし)の、棒の先を張(はり)たるかね故(ゆゑ)、如ㇾ此、號、有(あり)。
其かねの「かたく」を、つぎ足(たし)して、釣花生にしたる物にて、又、拂底(ふつてい)成(なる)物也。かねの色、金の如く、光りて見ゆる也。
又、水指(みづさし)にも用(もちひ)て「棒の先」と稱する物、有。同物也。
又、「水こぼし」に「骨はき」と云(いふ)物あり、是も拂底なる金物(かなもの)也。手にて撫(なづ)れば、さらさらするものを上品とす。
唐人(たうじん)の魚を食(くひ)て、骨を、はく、器なれば、此名あり。
又、竹花生の濫觴は、豐臣太閤、小田原陣の時、伊豆の「にら山」に在陣、有(あり)。雨中、徒然(つれづれ)によりて、茶湯(ちやのゆ)を催されしに、千利休、「にら山」の竹を伐(きり)て、花を生(いけ)しより、世に翫(もてあそ)ぶ事に成(なり)たり。此花生、太閤、祕藏ありしが、後に利休、惡事露顯の時、太閤、いかりて、此花生を打(うち)わられけるを、黑田如水、拾ひ上(あげ)て、錫(すず)にて内を繕(つくろひ)て、「園城寺(おんじやうじ)」と號し、再び、花生にせられたり。當時、園城寺は、
「丹羽家にあり。」
と云(いふ)。江戶町人、冬木方にもありと云(いふ)。何れか、眞僞、わからず。
[やぶちゃん注:以下以外は、興味がないので、注しない。悪しからず。
「サハリ」「響銅(さはり)」。銅に錫(すず)・鉛を加えた合金で、叩くと良い音を発するため「響銅」と書かれ、「佐波理」とも書かれる。その語源は「箋注和名類聚抄」では、「鈔鑼」が、「沙不良」・「佐波利」と転訛したものという。正倉院文書に『迊羅五重鋺』という記述があり、「迊羅」は「佐波理」を指すものと推定されている。「佐波理」は、鋳造・挽物(ひきもの)仕上げに適した銅合金で、東京国立博物館の法隆寺献納宝物中の加盤などが、これに当たると考えられる。正倉院宝物中の加盤の表面観察結果では。銅に、錫・鉛が数%含まれていることが報告されている。室町時代以後、茶器の建水(けんすい:茶碗を清めたり、温めたりしたときに使った湯や水を捨てるために使うもの。「(水)こぼし」とも言う)・水指・花瓶などにこの名称が用いられ、「砂張」とも書かれているが、上代とは合金の比率が異なっている。明治初期に書かれた「銅器説」では『銅一貫目 鉛三百目 錫百目』(器物用)。『銅一貫目 鉛五十目 錫二百目』(鳴物用)、『銅一貫目 鉛五十目 錫二百目又は三百目』などの合金比を挙げている(主文は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]