譚海 卷之十一 金毘羅權現の事
[やぶちゃん注:最後の割注は前話と同様の処理をした。]
○金毘羅權現と申(まうす)は、釋迦如來、いまだ、王宮にすみ給ひし時、其庭に住(すみ)給ふ神也。
本朝にても、利益(りやく)あらたなる事、かぞへがたし。
水戶讚岐守殿に仕(つかへ)し女房、讚州の者にて、江戸屋敷に久しくありて、母に對面せざる事を歎(なげき)て、常に權現を念じ祈(いのり)にけるに、ある夜、此女房、いづくとも行(ゆき)がたなく、うせて、在所をしらず。
大(おほい)に尋ね騷ぎたるに、三日をへて、住居(すまい)せし家の屋上に立(たち)てゐたりしかば、大に、人々、あやしみ、たすけおろしたるに、正氣なく、其まゝにて寢入(ねいり)、三日をへて、起(おき)あがり、手をひらきたれば、手に、梵字、書(かき)てあり。
女房、水を乞(こひ)て、其水にて、手の梵字を、洗ひおとし、みづから飮(のみ)たれば、正氣付(しやうきづき)て、平生のごとくに成(なり)、物語けるは、
「あまり、母に逢(あは)ざる事の戀しく、金毘羅權現へ、ひとへに起請し奉りししるしにや、夢中の樣(さま)にて、在所へ行(ゆき)て、母にも逢(あひ)て歸りたる。」
と、いへり。
讚州より、江戶へ詰合(つめあは)する家元[やぶちゃん注:ママ。「家士」「家來」の誤記か誤判読。]、
「在所を出立する時、此女房を、まさしく、見たる。」
よし、後に語りたる、とぞ。
在所の便(たより)にも、
「女房來りて 母に逢て しばらく物語せしが やがて いづくともなく見うしなひたる」
よし、後に、くはしく聞(きこ)へて、いよいよ、ふしぎなる事にいひあひて、權現のみちびきて、なさせ給ふ事、うたがひなき事を、
「有がたき事。」
に、いへり【註。この條、別本になし。】。
[やぶちゃん注:「水戶讚岐守」底本の竹内利美氏の後注に、『讃岐國高松の初代藩主の松平頼重は水戸初代藩主徳川頼房の長子で分家独立した。以後高松藩主は讃岐守を称している』とある。]