譚海 卷之十一 多賀潮古の事
○多賀潮古といふは、英一蝶(はなぶさいつてふ)が壯年の時の名也。
叔父、家に、「潮古」名印の二幅對有(あり)。「時宗朝比奈草摺引」・「牛若丸辨慶五條の橋」の所を繪がきたり。辨慶、頭(かしら)にかぶりたる頭巾は袈裟也。
すべて、山法師(やまほふし)を初(はじめ)て、諸寺の僧、軍陣に出(いづ)る時、袈裟をば、離(はな)ちがたき物ゆゑ、帽子のかはりに、頭を包(つつみ)て出(いで)たる事也。
潮古、其古實を、よく知(しり)たる故、あざやかに能(よく)書(かき)なせり。今も、天台宗にては、袈裟を、たゝみて、頭を包む口傳(くでん)有(あり)て、たゝみて、かぶるやう。その如くにすれば、頭巾のかわりに成(なる)事也、とぞ。
[やぶちゃん注:「多賀潮古といふは、英一蝶が壯年の時の名也」誤り。英一蝶は剃髪後に「多賀朝湖(たがてうこ)」と名乗っている。先行する「卷之十 英一蝶の事」の私の注の引用部を参照されたい。
「叔父」既出の本巻で冒頭に出て、途中にもしばしば登場する津村の叔父である中西邦義。]