譚海 卷之十二 象の事
○象(ざう)は、柔和なるもの也。象のわたりて後(のち)、世間にて繪に書(かき)たる象のかたち、かはりたり。
渡らぬさきの繪は、皆、こはごは敷(しく)、たけきもののやうに書(かき)なしたり。
誠の象を見て、繪のさま、にうわ[やぶちゃん注:「柔和」。]に成(なり)たり。
何事も、推量には、及びがたき所(ところ)有(ある)もの也。
「ゑそらごと」といふ事、ことわりなる事也。
[やぶちゃん注:本邦への象の最初の到来は、公式「福井県小浜市」公式サイト内の『広報おばま』の平成二〇(二〇〇八)年六月号(同年五月二十六日発行)のこちらのページ(六~七ページ)にある、「日本で初めてゾウが上陸したのがここ小浜。 子とした600周年の記念の年」(PDFでダウンロード可能)によれば、『室町時代時代の応永一五(一四〇八)年六月二十二日小浜へ南蛮船がやってきました。亜烈進卿(あれつしんきょう)』(当該ウィキによれば、『この人物はスマトラ島パレンバンの華僑の頭目であった施進卿と考えられている。また』、この『象は』、『その後』、『日本から朝鮮へと渡っており、朝鮮においても記録上』、『最初の生きた象となっている』とある)『という南蛮の帝王の命令で、今のインドネシアのパレンバンから来た船で、室町幕府の将軍への贈り物として「黒ゾウ一匹、クジャク二対、オウム二対、そのはおか献上品」などが載っていました』(中略)。『ゾウは約一カ月かけて京へ到着、室町幕府第四代将軍足利義持に献上されました。しかし、二年七カ月後の応永一八(一四一一)年、大量の食糧の調達に困った幕府は、朝鮮国王への貢物としてゾウを贈りました。このゾウは、のちに役人を踏み殺すという事件を起こし、島流しにされたそうです』とあり、関連する「ゾウつなぎ岩」やゾウの絵図その他の記事が読めるので、参照されたい。それ以降のゾウの渡来の記事は私が電子化注した物の中に、複数、あるが、「耳囊 卷之十 文化十酉年六月廿八日阿蘭陀一番舟渡來象正寫の事」の私の注で強力に記してある(図有り)ので、そちらに譲る。博物誌は誤りもあるが、私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 象(ざう/きさ) (ゾウ)」もある。]

