譚海 卷之十二 同御子息岩松殿の事
[やぶちゃん注:標題「同」及び冒頭の「此若殿」は前話を受けている。]
○此若殿、「岩松樣」と申せし。母君、老年の御子(みこ)なれば、殊の外、御てう愛[やぶちゃん注:ママ。「寵愛」は「ちようあい」でよい。]あり。
夜晝、側(かたはら)を、はなたず、そだて候ひしが、十六に成(なら)せ給ふとき、母君、かくれさせたまひし。やがて、其比(そのころ)より、安藝守樣、岩松樣を、表へ出(いだ)し、そだてさせ給ふ。
「男子(なんし)は成人するまで、女の側にあれば、馬鹿に成(なる)もの也。」
と仰られし。
御乳母・御側女中など、時時(ときどき)、表の役人へ對面のをりは、
「若殿、御やうすは、いかゞぞ。馴(なら)させ給はぬ男の中に御寢(おねむり)ありて、御さびしくあらん。」
など、いひ侍しに、
「『いざ。晝は、さりげなき御樣子に見へ候へど、夜は、さすがに、御(お)さびしくあるにや、朝ごとに、御枕(おんまくら)を見れば、淚にぬれて、おはしますやうす也。』と申せし。哀なる事。」
と、いひあへりしが、此殿、成人の後、かしこき君(くん)に成(なり)候ひて、御おきて、たゞしく、御一生、家中のものへ、加增などといふ事は、一度も、せさせ給はず、役人、勤功(きんこう)あれば、其時々、金子を給はり賞美せさせ給ふ。
されば、何がしといふ家司は、はたらきある人にて、數度(すど)、賞美の金子、いたゞき、大坂藏本鴻池方(かた)へ、預け置(おき)、國元へ引(ひき)こもる時、大坂にて、町屋敷、一ケ所、右の金子にて調へ、鴻の池方より、世話いたし、安樂に暮しをはりたる有(あり)、とぞ。